下谷氷川神社。鴻巣市下谷の神社

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下谷氷川神社。鴻巣市下谷の神社

下谷氷川神社の概要

下谷氷川神社は、鴻巣市下谷にある神社です。下谷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、かつて地内にあった熊野社の鰐口にも天正11年(1583)の銘があったことから、戦国時代には既に開発されていた地域で、鎮守として祀られきたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年西中曾根の氷川社・下谷字岡の熊野社及び両社境内社を合祀しています。

下谷氷川神社
下谷氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 八雲社・日枝社
祭日 春祈禱4月4日、天王様7月14日
住所 鴻巣市下谷484
備考 -



下谷氷川神社の由緒

下谷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、かつて地内にあった熊野社の鰐口にも天正11年(1583)の銘があったことから、戦国時代には既に開発されていた地域で、鎮守として祀られきたのではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年西中曾根の氷川社・下谷字岡の熊野社及び両社境内社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による下谷氷川神社の由緒

(南下谷村・中下谷村・北下谷村)
氷川社
南下谷にあり、三村の鎮守なり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下谷氷川神社の由緒

氷川神社<鴻巣市下谷四八四(下谷字谷端)>
鎮座地の下谷は、『鴻巣宿深井家譜』に「六郎次郎景高下谷にて戦死」と見え、かつて地内にあった熊野社の天正十一年(一五八三)の鰐口の銘にも「武州上足立下谷宮」と彫られていたように、戦国期には既に開発され、一村をなしていたと思われる。その後、元禄年間(一六八八-一七〇四)までに北下谷村・中下谷村・南下谷村の三か村に分かれ、明治四年に再度合併して一村になった。
この下谷全体の鎮守として祀られてきた神社が当社であり、『風土記稿』南下谷村・中下谷村・北下谷村の項には「氷川社 南下谷にあり、三村の鎮守なり」と記されている。当社の境内は、実際には北下谷の地内にあるため、この『風土記稿』の記事の中の「南下谷」は、「北下谷」の誤りではないかと思われる。
一方、『明細帳』によれば、当社は宝永七年(一七一〇)に再建され、明治六年村社に列せられたことや、同八年一月五日に焼失したが同年五月二日に再建されたこと、明治四十年に西中曾根の村社氷川社など六社を合祀したことなどがわかる。その後は、昭和二十八年に拝殿と本殿覆屋が新築された。更に昭和四十一年には、台風で参道の両側に並び立っていた杉の大木のほとんどが倒れてしまったが、後に植樹が進められ、現在は立派な杜となっている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


下谷氷川神社の周辺図