境天神社。鴻巣市境の神社

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境天神社。福島家に寄宿していた釈白心庵主の遺言により創祀

境天神社の概要

境天神社は、鴻巣市境にある神社です。境天神社は、宝暦年間(1751-1764)当地の福島家に寄宿していた釈白心庵主が、逝去に際して天神を祀るよう言い遺したことから、天神を境村下分の鎮守として祀るようになったといい伝えられています。境村上分に祀られていた八幡社を上分の鎮守、当社を下分の鎮守として祀られていましたが、明治維新後の社格制定に際しては当社が村社に列格、明治43年に村内の諸社を合祀、当社覆屋内に天神社・八幡社の二社を並べて祀っているといいます。

境天神社
境天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真公
相殿 誉田別命
境内社 辨天・愛宕・庚申
祭日 7月15日天王様
住所 鴻巣市境97-1
備考 -



境天神社の由緒

境天神社は、宝暦年間(1751-1764)当地の福島家に寄宿していた釈白心庵主が、逝去に際して天神を祀るよう言い遺したことから、天神を境村下分の鎮守として祀るようになったといい伝えられています。境村上分に祀られていた八幡社を上分の鎮守、当社を下分の鎮守として祀られていましたが、明治維新後の社格制定に際しては当社が村社に列格、明治43年に村内の諸社を合祀、当社覆屋内に天神社・八幡社の二社を並べて祀っているといいます。

新編武蔵風土記稿による境天神社の由緒

(境村)
八幡社
村内上分の鎮守なり、
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久伊豆社
神明社
稲荷社
以上四社、善勝寺持、
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天神社
村内下分の鎮守なり、
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熊野社
天王社
辨天社
以上村持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による境天神社の由緒

天神社<川里村境八六(境字台)>
当社の鎮座する境地区は星川(見沼代用水) の右岸に位置する。古くは境村を二分して上分・下分と私称し、上分の鎮守は八幡社、下分の鎮守は天神社であった。
当社の創立は、社記に「当社は今古老の口碑に伝て日ふ宝暦年間福島家に釈白心庵主なる者あり該宅地内に勧請ありしが該庵主回向をなし本村に於て寂するに際し遺言して日く本村下分に鎮守なきを以て之を祭れと茲に於いて祭れり以て挙村民之を鎮守とし崇敬せり」とある。また『明細帳』に「素ヨリ当村鎮守ニシテ去ル宝暦年中旧地頭藤堂肥後守良由朝臣深ク信仰セラレケルヲ以テ社殿再建アリ、明治五年村社ニ申立済、明治四十三年二月二十三日同村大字同字同無格社熊野社字同無格社稲荷社字上手無格社神明社字同無格社厳島社字同無格社八坂社字台無格社厳島社字同無格社愛宕社字前無格社八幡社字同無格社久伊豆社ヲ合併ス」とある。
字前の八幡社は上分の鎮守であったために、合祀後は、覆屋内に天神社・八幡社の二社が並べて祀られ、それぞれ三五センチメートルの「天保十二辛己歳八月吉日之彩色口」と記す天神座像と二三センチメートルの八幡大明神像を安置する。また天神社の社殿前面には、随身像が置かれている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


境天神社の周辺図