小谷日枝神社。鴻巣市小谷の神社、旧小谷村鎮守

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小谷日枝神社。鴻巣市指定文化財の小谷ささら獅子舞

小谷日枝神社の概要

小谷日枝神社は、鴻巣市小谷にある神社です。小谷日枝神社の創建年代等は不詳ながら、忍城主成田氏の家臣小宮山内膳の居域と伝えられる小谷城跡の鬼門に位置していることから、鬼門除けとして祀られた可能性が指摘されています。江戸期には小谷村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治40年上新田の雷電社、堤根の阿夫利社、八丁免の衢ノ神社を合祀しています。当社お日待に奉納される小谷ささら獅子舞は、鴻巣市文化財に指定されています。

小谷日枝神社
小谷日枝神社の概要
社号 小谷日枝神社
祭神 大山咋命
相殿 -
境内社 大山阿夫利神社、三峰・稲荷・天神・白山合殿
祭日 大祭7月24・25日、お日待10月第一日曜日
住所 鴻巣市小谷1505
備考 旧小谷村鎮守



小谷日枝神社の由緒

小谷日枝神社の創建年代等は不詳ながら、忍城主成田氏の家臣小宮山内膳の居域と伝えられる小谷城跡の鬼門に位置していることから、鬼門除けとして祀られた可能性が指摘されています。江戸期には小谷村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治40年上新田の雷電社、堤根の阿夫利社、八丁免の衢ノ神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による小谷日枝神社の由緒

(小谷村)
山王社
村の鎮守なり、
末社。稲荷社、天王社(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による小谷日枝神社の由緒

日枝神社<吹上町小谷一五〇五(小谷字山中)>
小谷は、荒川と元荒川の間の低地帯に位置する村で、古くは箕田村の一部であったという。その地内には、忍城主成田氏の家臣の小宮山内膳の居域と伝えられる小谷城跡があり、その近辺には、「城山」「小城沼」「元屋敷」「仕置場」たど、城に関係した地名が見られる。
この小谷の鎮守として祀られてきた神社が当社であり、元来は山王社と称していたが、神仏分離によって明治初年に日枝神社と改めたが、氏子の間では今でも「山王様」と呼ばれている。『風土記稿』小谷村の項には「山王社 村の鎮守なり、稲荷社 天王社 雷電社 稲荷社」と載り、寺院との関連は記されていないが、恐らくは当社のすぐ西にある金乗寺が祭祀にかかわっていたと思われる。
寛永六年(一六二九)に荒川の瀬替えがあるまでは、幾度も洪水に見舞われてきたためか、当社の創建に関する資料は現存しない。内陣に「正一位山王宮」と刻まれた金幣が安置されているところから、江戸時代には、正一位の神階を受けたものと思われるが、残念ながら、その時期は不明である。また、この金幣と共に、「正一位雷電宮」と刻んだ金幣も安置されているが、これは明治四十年に字上新田から合祀された雷電社のもので、この年、字堤根の阿夫利社と字八丁免の衢ノ神社も当社に合祀された。なお、当社は、小谷城跡から見て東北の方角にあるため、城の鬼門除けとして祀られた社との見方もできる。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


小谷日枝神社所蔵の文化財

  • 小谷ささら獅子舞(鴻巣市指定無形民俗文化財)

小谷ささら獅子舞

主として五穀豊穣の祈願、悪疫退散の神事として各地で行われる獅子舞は、平安時代には宮廷や寺社で行われ、室町時代になって民間に広まった。
それ以後はそれぞれの時代ごとの庶民の願望や土地ごとの気風などを反映させながら発展をとげていった。
竹を細く割って作った「ささら」をすり合わせて踊る小谷のささら獅子舞は、三百年ほど前から伝えられてきたが起源は不詳である。
豊作を神に感謝するとともに無病息災、家内安全を願って毎年十月中旬に日枝神社に獅子舞や棒術、刀術、槍術が奉納される。獅子踊りに入る前の様々な所作、寸劇、掛け声等はよくその型を伝えており、貴重な民俗芸能である。
また、関東地方の獅子舞はほとんどが三頭で舞うが、この獅子舞は五頭であることが特徴である。(鴻巣市教育委員会掲示より)

小谷日枝神社の周辺図