川里赤城神社。鴻巣市赤城の神社

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川里赤城神社。群馬県赤城神社から当地に嵐除けの神札が飛来

川里赤城神社の概要

川里赤城神社は、鴻巣市赤城にある神社です。川里赤城神社の創建年代等は不詳ながら、群馬県赤城神社から当地に嵐除けの神札飛来してきたことから、これを祀り創建したと伝えられ、江戸時代には赤城村の鎮守として祀られていました。明治41年天神社、稲荷社を合祀しています。

川里赤城神社
川里赤城神社の概要
社号 赤城神社
祭神 大己責命・豊城入彦命・彦狭島命
相殿 -
境内社 稲荷社、天満宮、浅間社、御獄社
祭日 大祭10月15日
住所 鴻巣市赤城714
備考 -



川里赤城神社の由緒

川里赤城神社の創建年代等は不詳ながら、群馬県赤城神社から当地に嵐除けの神札飛来してきたことから、これを祀り創建したと伝えられ、江戸時代には赤城村の鎮守として祀られていました。明治41年天神社、稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による川里赤城神社の由緒

(赤城村)赤城明神社
村内の鎮守とせり、村持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による川里赤城神社の由緒

赤城神社<川里村赤城七一四(赤城字大和田)>
当地の地名由来は、群馬県勢多郡宮城村に鎮座する赤城神社から嵐除けの神札がこの地に飛来して、これを祀ったことによる。
祭神は大己責命・豊城入彦命・彦狭島命の三柱であるが、尾沢家所蔵文書の赤城神社書上げでは「磐筒男命・磐筒女命」の二柱としている。本社赤城神社の祭神が大己貴命・豊城入彦命の二柱であることから、当社は明治期に入り現在の祭神に改められたと思われる。
『明治三十四年三月二十日境内編入願書』に「抑も当社は口碑に去る慶長年中、上野国赤城山に鎮座せる磐筒男命の分幣を祭祀せりと伝へる、而して社殿は茅葺にして修理経営は数回の後最近の建替は嘉永弐年領主徳川将軍の旗本林大学頭の許可を得而茅葺に建立す」とある。また本股内に置かれる縦七七センチメートル・横四六センチメートルの赤城大明神とある社号額の裏面墨書に「允恭天皇御宇始建赤城神社于上野国勢多郡内数百年来勧請於此地元禄己卯九月日」とある。
また、内陣に高さ六八センチメートルの金幣を祀り、「享和元年辛酉四月吉日 天保十年亥八月採光」と記す。
明治四一年同大字字前原天神社、字大和田稲荷社を当社境内社として合祀する。境内社としてほかに浅間社・御獄社を紀る。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


川里赤城神社の周辺図