善福寺薬師堂。比企郡川島町下八ツ林にある真言宗智山派寺院

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善福寺薬師堂。旧威徳寺、中武蔵七十二薬師

善福寺薬師堂の概要

真言宗智山派寺院の善福寺薬師堂の創建年代等は不詳ながら、薬師如来に奉納された応永7年(1400)銘の鰐口が掛けられていたといい、応永年間(1394-1428)には薬師如来像が奉安されていたことが窺えます。江戸期には善福寺の門徒寺院として威徳寺と号し、不動明王を本尊とする本堂の他に、薬師堂・天神社を境内に擁し、江戸時代後期には寺子屋が開かれていました。明治維新後の神仏分離により天神社と分離、その後善福寺に合寺され、現在は善福寺の境外仏堂となっています。武州八十八所霊場46番、中武蔵七十二薬師37番です。

善福寺薬師堂本堂
善福寺薬師堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 善福寺薬師堂
本尊 薬師如来像
住所 比企郡川島町下八ツ林237
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



善福寺薬師堂の縁起

善福寺薬師堂の創建年代等は不詳ながら、薬師如来に奉納された応永7年(1400)銘の鰐口が掛けられていたといい、応永年間(1394-1428)には薬師如来像が奉安されていたことが窺えます。江戸期には善福寺の門徒寺院として威徳寺と号し、不動明王を本尊とする本堂の他に、薬師堂・天神社を境内に擁し、江戸時代後期には寺子屋が開かれていました。明治維新後の神仏分離により天神社と分離、その後善福寺に合寺され、現在は善福寺の境外仏堂となっています。

新編武蔵風土記稿による善福寺薬師堂の縁起

(下八ツ林村)
威徳寺
本尊不動を安ず、(善福寺の門徒にして小寺なり、)
薬師堂。古鰐口をかく、其圖上の如し、此鰐口元は、高麗郡佐西熊野堂にありしを、彼堂廢せし頃、應永七年持来て此堂に掛け、其時改めて裏面の銘を彫りし者なるべし、應永七年は明徳四年を下ること、僅に八年なれど、今も彼地に熊野堂なければ、其間に廢せしことしらる、
(鐘銘)
表に明徳四年癸酉四月日大工河内權伍國光 武州高麗郡佐西郷熊野堂律師良勝
裏に應永七庚辰五月塗以下 本間氏女
裏に奉掛 薬師如来鰐口一面(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による善福寺薬師堂の縁起

天神社<川島町下八ツ林二三六(下八ツ林字柳町)>
文化十年(一八一三)から慶応元年(一八六五)にかけて、当地内では下八ツ林塾と称する寺子屋が開かれていた。
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威徳寺の跡に残る薬師堂は、七月十二日が縁日で、善福寺の住職により供養が行われる。眼病治癒の御利益で知られるこの薬師如来は、かつては川島町全域から信仰を集め、多数の「め」の絵馬が奉納されていた。(「埼玉の神社」より)


善福寺薬師堂の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」