牛ヶ谷戸諏訪社。比企郡川島町牛ヶ谷戸の神社

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牛ヶ谷戸諏訪社。比企郡川島町牛ヶ谷戸の神社

牛ヶ谷戸諏訪社の概要

牛ヶ谷戸諏訪社は、比企郡川島町牛ヶ谷戸にある神社です。牛ヶ谷戸諏訪社は、甲斐国武田家家臣だった馬場家の先祖が、邸宅傍に氏神として勧請、初代神主馬場帯刀は天文13年(1544)に逝去しているといいます。馬場一族が分家していくなかで、江戸期には(牛頭天王社と共に)牛ヶ谷戸村の鎮守として祀られるようになり、大正4年には牛ヶ谷戸天王耕地の八坂神社(牛頭天王社)を合祀しています。

牛ヶ谷戸諏訪社
牛ヶ谷戸諏訪社の概要
社号 諏訪社
祭神 建御名方命
相殿 -
境内社 津島神社、天神社
祭日 春祭り3月27日、天王様7月14日、夏祭り8月27日、秋祭11月27日
住所 比企郡川島町牛ヶ谷戸669
備考 -



牛ヶ谷戸諏訪社の由緒

牛ヶ谷戸諏訪社は、甲斐国武田家家臣だった馬場家の先祖が、邸宅傍に氏神として勧請、初代神主馬場帯刀は天文13年(1544)に逝去しているといいます。馬場一族が分家していくなかで、江戸期には(牛頭天王社と共に)牛ヶ谷戸村の鎮守として祀られるようになり、大正4年には牛ヶ谷戸天王耕地の八坂神社(牛頭天王社)を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による牛ヶ谷戸諏訪社の由緒

(牛ヶ谷戸村)
諏訪社
村内及び山ヶ谷戸村の産神とす、寛永十三年勧請する所にして、禰宜馬場兵庫司どれり、兵庫は入間郡塚越村勝雅楽が配下なり、
牛頭天王社
是も村の鎮守なり、三保谷村青林寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による牛ヶ谷戸諏訪社の由緒

諏訪社<川島町牛ヶ谷戸二二三(牛ヶ谷戸字本村前)>
都幾川・越辺川・市野川・荒川の四河川によって作られた低平な沖積地は、水害に悩まされることも多かったが、水田を作るには適していた。そうして開かれたのが八ツ林郷と呼ばれる地域で、当社が鎮座する牛ヶ谷戸は、その中の一村として開発され、永禄年間(一五五八-七〇)には北条氏秀の所領として検地を受けている。
創建については、後鳥羽天皇の御代(一一八三-九八) に足立郡から当地に移り住み、開拓を行った数家が式内社氷川大神の分霊を奉祀し、のち永正十二年(一五一五)に当地の矢部伊賀一族が再興したとする説、正応年間(一二八八-九三)に相州(現神奈川県)三浦郡矢部村から当地にやって来て帰農した太田資時が五穀成就を祈ってその産土神である氷川大神を祀ったことに始まるとする説などがある。ちなみに、江戸時代には当社の別当であった大福寺の東側と西側にある二軒の矢部家は、古くから当社の祭祀にかかわりが深く、神仏分離の後は行詮・覚太郎・周矩の三代にわたって当社の神職も務めた。
当社には棟札が数枚残っているが、その中で最も古いものが永正十二年四月に本殿を造営した時のもので、表には「復興玉殿本地拾面観音垂迹氷川大明神」とある。その後、慶長三年(一五九八)九月に再度造営され、更に安政三年(一八五六)十二月に造営されたのが現在の本殿である。また昭和三年には御大典を記念して覆屋も造られた。(「埼玉の神社」より)


牛ヶ谷戸諏訪社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)