下小見野氷川神社。比企郡川島町下小見野の神社

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下小見野氷川神社。旧小見野郷の鎮守

下小見野氷川神社の概要

下小見野氷川神社は、比企郡川島町下小見野にある神社です。下小見野氷川神社の創建年代等は不詳ながら、上小見野村が小見野郷から分村する前に武蔵国一の宮氷川神社の遥拝所として祀られてきたといいます。小見野郷が武尊されて以降は下小見野・加胡・松永三ヶ村の鎮守として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年には下小見野天神社、松永の八幡社を合祀しています。たといいます。小見野郷が武尊されて以降は下小見野村・梅ノ木・虫塚三村の鎮守として祀られてきました。

下小見野氷川神社
下小見野氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 浅間神社
祭日 春祭り4月4日、灯籠8月4日、例祭10月4日、新嘗祭12月4日
住所 比企郡川島町下小見野755
備考 -



下小見野氷川神社の由緒

下小見野氷川神社の創建年代等は不詳ながら、上小見野村が小見野郷から分村する前に武蔵国一の宮氷川神社の遥拝所として祀られてきたといいます。小見野郷が武尊されて以降は下小見野・加胡・松永三ヶ村の鎮守として祀られてきました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年には下小見野天神社、松永の八幡社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による下小見野氷川神社の由緒

(下小見野村)
氷川社
村内の鎮守なり、光西寺持、
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天神社
西福寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下小見野氷川神社の由緒

氷川神社<川島町下小見野七五五(下小見野字宮ノ町)>
小見野は、中世末期から用いられたと思われる小美濃郷の遺名である。慶長十四年(一六〇四)の検地帳には「武州比企郡小美濃郷」と記されている。正保年中(一六四四-四八)の国絵図に見える「小美濃本村」が、寛文二年(一六六二)に上・下小美濃村に分村し、後に表記を小見野と改めたという。
当社は、小美濃郷と記していたころには、既に武蔵国一の宮氷川神社の遥拝所として建立されていたが、後に改めて一社として勧請されたと伝えられる。宝暦二年(一七五二)の棟札によれば、下小見野・加胡・松永の三か村の総鎮守として本殿を再建した際、上小見野・梅之木・虫塚・一本木・谷中・戸羽井・戸羽井新田・大塚の八か村からも籾の寄附がなされており、これらの村々がかつて小美濃郷に属していたことをうかがわせる。ちなみに、大塚村を除いた十か村は、江戸期に「小見野十か村」と唱えられていたという。
また、この棟札には「遷宮導師当村明光山法鈴寺法印教慧和尚」「別当当村普門山光西寺法印譽山」の名があり、往時の祭祀状況をうかがわせる。法鈴寺と光西寺は本末の関係である。
明治四年に村社となり、同四十年には大字下小見野字上小見野家付の天神社と大字松永字矢代町の八幡社の村社二社を合祀した。天神社は「天神前」の屋号を持つ石川能男家の近くに鎮座していたという。(「埼玉の神社」より)


下小見野氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)