白井沼氷川社。比企郡川島町白井沼の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

白井沼氷川社。寛文元年に眞福寺境内地に創建

白井沼氷川社の概要

白井沼氷川社は、比企郡川島町白井沼にある神社です。白井沼氷川社は、万治3年(1660)飢饉に襲われたことから、当地の重立七家が謀り寛文元年(1661)眞福寺境内地だった当地に創建、村の鎮守として祀られてきたといいます。明治維新後に廃寺となった眞福寺(当地)には川島郷学校が開校、神社の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治45年には字中下の無格社稲荷社を合祀しています。

白井沼氷川社
白井沼氷川社の概要
社号 氷川社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 諏訪社、天神社、御嶽社、稲荷社
祭日 春祭り4月7日、夏祈禱7月14日10月14・15日例祭、秋祭り12月7日
住所 比企郡川島町白井沼219
備考 -



白井沼氷川社の由緒

白井沼氷川社は、万治3年(1660)飢饉に襲われたことから、当地の重立七家が謀り寛文元年(1661)眞福寺境内地だった当地に創建、村の鎮守として祀られてきたといいます。明治維新後に廃寺となった眞福寺(当地)には川島郷学校が開校、神社の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治45年には字中下の無格社稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による白井沼氷川社の由緒

(白井沼村)
氷川社
村の鎮守なり、寛永年中に勧請すと云、眞福寺持、
末社。天神社、諏訪社、稲荷社
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御靈社
百姓持、
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眞福寺
新義眞言宗、表村廣徳寺の門徒にて、山號なし、下の二寺並に同じ、本尊不動像を安ず、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による白井沼氷川社の由緒

氷川神社<川島町白井沼二一九(白井沼字宮後)>
万治三年(一六六〇)にこの辺りは大飢鐘に襲われ、加えて悪疫が流行したことから村は疲弊した。このため、当地の重立七家が相諮り、翌寛文元年(一六六一)に真福寺の境内地を卜して社を建て神霊を奉斎した。これが、口碑に伝えられる当社の創建である。
『風土記稿』には「氷川社 村の鎮守なり、寛文年中に勧請すと云、真福寺持、末社 天神社・諏訪社・稲荷社」と載せられている。
神仏分離を経て、当社は明治四年に村社となった。その後、明治二十六年に真福寺の本堂と共に社殿を焼失したが、翌二十七年には再建が果たされた。明治四十五年には字中下の無格社稲荷社を合祀した。
太平洋戦争後、当社は維持に困窮したが、当地出身の遠山元一氏の多額の寄附と氏子一同の協力によって運営基盤を立て直し、現在に至っている。近年では、昭和五十三年に拝殿の再建が行われている。
明治初年に廃寺となった真福寺は、その本堂が明治三年から同五年にかけて川島郷学校の校舎として利用された。この学校は、「学制」発布以前に前橋藩の働き掛けによって設立された郷学校で、近代における川島の庶民教育の先駆的役割を担ったことで知られている。
なお、明治二十六年の火災で焼失を免れた真福寺の本尊不動尊は、
今も境内の一画に祀られており、近くには「権大僧都法印宥範・延宝三年(一六七四)をはじめとする歴代法印の墓石五基が残る。(「埼玉の神社」より)


白井沼氷川社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)