中山氷川神社。比企郡川島町中山の神社

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中山氷川神社。中山の鎮守

中山氷川神社の概要

中山氷川神社は、比企郡川島町中山にある神社です。中山氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地が開発された鎌倉時代頃の創建ではないかといいます。江戸期には中山村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年字上廓の天神社と白髭神社、字神明の白髭神社を合祀しています。

中山氷川神社
中山氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊、応神天皇、建御名方神、清寧天皇、菅原道真公
相殿 -
境内社 稲荷社、八坂社、天神社
祭日 春祭り3月28日、夏祭り7月18日、秋祭り10月17日、例祭12月15日
住所 比企郡川島町中山1790
備考 -



中山氷川神社の由緒

中山氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地が開発された鎌倉時代頃の創建ではないかといいます。江戸期には中山村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年字上廓の天神社と白髭神社、字神明の白髭神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による中山氷川神社の由緒

(中山村)
氷川社
八幡・諏訪の二神を合祀す、村の鎮守なり、棟札に延暦三甲子年九月吉日、武州比企郡川嶋之内土袋庄中山村願主長圓と記す、されど此年號さらに信ずべからず、何ものか彼世かゝる無稽のことを、なし置しと見えたり、善能寺持、
末社。稲荷社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による中山氷川神社の由緒

氷川神社<川島町中山一七九〇(中山字宮本)>
東を荒川、西を越辺川、南を入間川、北を市野川と、四方を川に囲まれた川島町には、越辺川とほぼ並行して川越と東松山を結ぶ国道二五四号が走っており、その沿道には幾つかの村が開かれ、発展してきた。当社の鎮座する中山もその一つで、地内には比企能員の支流と伝える旧家の比企家、がありまた、仁治元年(一二四一)から天正十五年(一五八七)にかけて建てられた板碑が三三基もあることから、村の開発は鎌倉時代までさかのぼることが考えられる。
当社の創建を伝える史料としては、宝永七年(一七一〇)の棟札がある。この棟札の裏側には「守護山郷内繁昌祈攸 別当善能寺
「武州比企郡川嶋土袋庄中山村江口村六兵衛、願主隆貞」の文字と共に、「延暦三年甲子(七八四)九月勧請 二十七年破損造立 自享禄元年(一五二八)宝永七年迄八十四年 従延暦三年宝永七年迄九百廿七年」と、由緒が記されている。しかし『風土記稿』が「延暦三年」という年号に疑問を投げかけており、実際に当社が神社として形を整えたのは、村の開発と同じころと推定される。
このほか当社には、慶安元年(一六四八)の造立、貞享元年(一六八四)の造立、享保十年(一七二五)の修造、宝暦六年(一七五六)の外廊拝殿造立、寛政十一年(一七九九)の修造、文政二年(一八一九)の再建などの時の棟札が残されている。(「埼玉の神社」より)


中山氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)