平沼氷川神社。比企郡川島町平沼の神社

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平沼氷川神社。比企郡川島町平沼の神社

平沼氷川神社の概要

平沼氷川神社は、比企郡川島町平沼にある神社です。平沼氷川神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代後鳥羽天皇の御代(1183-1198)に足立郡から移住して当地を開拓した人達が大宮氷川神社を勧請したとも、正応年間(1288-1293)に三浦郡矢部から移住して帰農した太田資時が勧請したとも伝えられます。江戸期には平沼村の鎮守として祀られていました。

平沼氷川神社
平沼氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 津島神社、天神社
祭日 春祭り4月1日、夏祭り7月24日、秋祭り10月14日
住所 比企郡川島町平沼323
備考 -



平沼氷川神社の由緒

平沼氷川神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代後鳥羽天皇の御代(1183-1198)に足立郡から移住して当地を開拓した人達が大宮氷川神社を勧請したとも、正応年間(1288-1293)に三浦郡矢部から移住して帰農した太田資時が勧請したとも伝えられます。江戸期には平沼村の鎮守として祀られていました。

新編武蔵風土記稿による平沼氷川神社の由緒

(平沼村)
氷川社
村の鎮守なり、大福寺持、
末社。天照太神宮、牛頭天王社、稲荷社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による平沼氷川神社の由緒

氷川神社<川島町平沼二二三(平沼字本村前)>
都幾川・越辺川・市野川・荒川の四河川によって作られた低平な沖積地は、水害に悩まされることも多かったが、水田を作るには適していた。そうして開かれたのが八ツ林郷と呼ばれる地域で、当社が鎮座する平沼は、その中の一村として開発され、永禄年間(一五五八-七〇)には北条氏秀の所領として検地を受けている。
創建については、後鳥羽天皇の御代(一一八三-九八) に足立郡から当地に移り住み、開拓を行った数家が式内社氷川大神の分霊を奉祀し、のち永正十二年(一五一五)に当地の矢部伊賀一族が再興したとする説、正応年間(一二八八-九三)に相州(現神奈川県)三浦郡矢部村から当地にやって来て帰農した太田資時が五穀成就を祈ってその産土神である氷川大神を祀ったことに始まるとする説などがある。ちなみに、江戸時代には当社の別当であった大福寺の東側と西側にある二軒の矢部家は、古くから当社の祭祀にかかわりが深く、神仏分離の後は行詮・覚太郎・周矩の三代にわたって当社の神職も務めた。
当社には棟札が数枚残っているが、その中で最も古いものが永正十二年四月に本殿を造営した時のもので、表には「復興玉殿本地拾面観音垂迹氷川大明神」とある。その後、慶長三年(一五九八)九月に再度造営され、更に安政三年(一八五六)十二月に造営されたのが現在の本殿である。また昭和三年には御大典を記念して覆屋も造られた。(「埼玉の神社」より)


平沼氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)