新光寺。川口市峯にある天台宗寺院

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新光寺。武蔵国八十八ヶ所霊場

新光寺の概要

天台宗寺院の新光寺は、御幣山神寶院と号します。新光寺は、慈覚大師(794-864)が開山となり創建したとも、「後三年の役に新羅三郎義光と源義家が奥州征討の途次、当社に戦勝を祈願するや二羽の白鳩が出現し、金の幣帛となって東北へ飛び去った。戦では、この幣帛が度々現れて乱が平定できたので、奥州の帰路、義光と義家は一寺を建立し、山号を御幣山、寺号を新羅三郎義光から二字を取り、新光寺とした」とも伝えられます。往古は修験に属していましたが、その後真言宗寺院に属していたものの、寛永18年(1641)に天海僧正から「東叡山寛永寺直末許状」が発給され、天台宗寺院となっています。明治維新後の神仏分離令まで峯ヶ岡八幡神社の別当寺を務めていました。武蔵国八十八ヶ所霊場35番です。

新光寺
新光寺の概要
山号 御幣山
院号 神寶院
寺号 新光寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 川口市峯1319
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



新光寺の縁起

新光寺は、慈覚大師(794-864)が開山となり創建したとも、「後三年の役に新羅三郎義光と源義家が奥州征討の途次、当社に戦勝を祈願するや二羽の白鳩が出現し、金の幣帛となって東北へ飛び去った。戦では、この幣帛が度々現れて乱が平定できたので、奥州の帰路、義光と義家は一寺を建立し、山号を御幣山、寺号を新羅三郎義光から二字を取り、新光寺とした」とも伝えられます。往古は修験に属していましたが、その後真言宗寺院に属していたものの、寛永18年(1641)に天海僧正から「東叡山寛永寺直末許状」が発給され、天台宗寺院となっています。明治維新後の神仏分離令まで峯ヶ岡八幡神社の別当寺を務めていました。

新編武蔵風土記稿による新光寺の縁起

峰村八幡社)別当真光寺
天台宗、東叡山末、御幣山神寶院と號す。慈覚大師の開山にして、本尊弥陀は則大師の作と云、按るに前に云る如く承久の頃此邊鶴岡社領たるに因て、遥拝のため此社を勧請せしならんには、別当寺を慈覚大師の草創と云こと年代齟齬せり、天台宗には後世起立の寺院にても、慈覚を開山とすることままあれば、當寺も其類にや、とにかく舊記なれば今より知べからず、寛永十八年慈眼大師の與へし法度書、及び東叡山末となりし免状を蔵す。
寺中。
西福寺。古は長泉寺・安養院・観照院・西ノ坊・東ノ坊などすべて六ヵ寺ありしが、廃して今は此寺のみ存せり。(新編武蔵風土記稿より)


新光寺の周辺図