新郷貝塚|川口市東貝塚の名所旧跡

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新郷貝塚|縄文時代後期~晩期の貝塚

新郷貝塚の概要

新郷貝塚は、川口市にある名所旧跡です。新郷貝塚は、縄文時代後期~晩期の貝塚で、淡水産の貝を主体とする主淡貝塚です。貝塚の存在は古くから知られ、地名も貝塚の存在により名付けられています。明治維新後数回の調査により、3軒の十居址、伸展葬3体を含む5体の入骨などが確認され、埼玉県史跡に指定されています。

新郷貝塚
新郷貝塚の概要
名称 新郷貝塚
みどころ 埼玉県指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 川口市東貝塚、新郷貝塚若宮公園
備考 -




新郷貝塚の由緒

新郷貝塚は、縄文時代後期~晩期の貝塚で、淡水産の貝を主体とする主淡貝塚です。貝塚の存在は古くから知られ、地名も貝塚の存在により名付けられています。明治維新後数回の調査により、3軒の十居址、伸展葬3体を含む5体の入骨などが確認され、埼玉県史跡に指定されています。また当地名が東貝塚の字若宮であることから、江戸期には貝塚村の鎮守若宮八幡社(明治40年峯ヶ岡八幡神社に合祀)が祀られていたと思われます。

川口市教育委員会掲示による新郷貝塚について

新郷貝塚
新郷貝塚は川口市内で最大規模のものであり、原形を留める数少ない遺跡です。貝塚は東側から入り込む谷の最奥部を囲むように存在し、4地点の貝塚(A地点・B地点・C地点・D地点貝塚)が馬蹄形をなしているものです。貝塚は東西約120m、南北約150mの広がりをもち、厚さはA地点貝塚で1m以上の堆積をしています。発掘調査の歴史は古く、1893年に鳥居龍蔵により調査が実施され、その後、1927年秩父宮御台臨に際して柴田常恵が、1931年には県史編さん事業として、さらに1933年には東京帝国大学医学部解剖学教室が発掘調査を実施しています。これらの調査によって、3軒の住居址と伸展葬3体を含む5体の入骨が検出され、縄文時代後期称名寺式・堀之内式・加曾利B式・後・晩期安行式土器が出土しました。他に土偶・土版・耳飾等の土製品や石鏃・石斧・石棒等の石器類、貝輪や貝刃が出土しています。(川口市教育委員会掲示より)

埼玉県掲示による新郷貝塚について

新郷貝塚
新郷貝塚は、縄文時代の主淡貝塚(淡水産の貝を主体とする貝塚)で、庄和町神明貝塚、松伏町栄光院貝塚等と共に、埼玉県を代表する縄文時代後期の貝塚である。
この貝塚は三つの地点からなり、南北一五〇メートル、東西の最大幅一二〇メートルの規模を有している。
縄文時代後期の関東地方は、貝類を中心とする漁撈生活が盛んな時代であり、その頃の社会生活を知る上え貴重な歴史的遺産である。
貝塚の発掘は、最初明治三十六年に鳥居龍蔵博士によって行われ、更に昭和年代に入ってから三回行われ、この発掘によって三軒の住居跡と多数の遺物が出土している。(埼玉県掲示より)


新編武蔵風土記稿による新郷貝塚について

(貝塚村)
貝塚村は江戸よりの工程前工程前村に同じ(江戸より行程五里)、村名は村内に貝塚と云古塚あるを以て起れりと、この塚の邊は一圓に貝殻多く、又村内に八百比丘尼の船繁松と呼べる圍一丈餘の松あり、されば此邊往古は入海にて、かの岸に添し地なるべしと土人云へり、(新編武蔵風土記稿より)

新郷貝塚の周辺図