法心寺。川越市小室にある曹洞宗寺院

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法心寺。地頭水野多宮守重が再建

法心寺の概要

曹洞宗寺院の法心寺は、湖月山小室院と号します。法心寺の創建年代等は不詳ながら、永正年間に天台宗寺院として創建、その後荒廃していた当寺を、地頭水野多宮守重が、父忠守(芳心)の菩提を弔うため、曹洞宗僧學山(天正7年1579年寂)を助けて再建したといいます。

法心寺
法心寺の概要
山号 湖月山
院号 小室院
寺号 法心寺
住所 川越市小室495
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観音像
葬儀・墓地 -
備考 -



法心寺の縁起

法心寺の創建年代等は不詳ながら、永正年間に天台宗寺院として創建、その後荒廃していた当寺を、地頭水野多宮守重が、父忠守(芳心)の菩提を弔うため、曹洞宗僧學山(天正7年1579年寂)を助けて再建したといいます。

新編武蔵風土記稿による法心寺の縁起

(小室村)法心寺
曹洞宗、河越養壽院末、湖月山小室院と號す、寺僧に云當寺は永正年中起立せり、其頃は天台宗なりしが後廢寺となり、其後學山と云僧再建して、洞家の禅刹とす、時の地頭水野多宮聞て喜捨して、中興の功を助く、其後多宮は天正元年八月十五日卒す、法謚して小室院月叟法心居士と云、學山は本山へ轉住して天正七年十一月廿八日寂すと云、按に水野家譜に水野多宮守重は、織部忠守の次男なり、法名は宗三、父忠守が法名を芳心と云、御入國の後玉縄の城を守れりとある、法心芳心音近ければ、當寺忠守が菩提のため中興せしなるべし、されど水野は三河御譜代の士なれば、御入國前當寺を中興するの理なし、想に寺傳年代を誤れるならん、本尊十一面観音にて、腹籠りの像は湛慶の作、長六寸許りありと云。
寺寶
彌陀像一軀
此像元は駿河國有渡郡江尻紫雲山法岸寺より傳来すと云、縁起の略に云(縁起省略)
辨天社。辨天は長五寸許り、上宮太子の彫刻なりと云ふ、此社元澤田某の建立する所なりと云ふ。(新編武蔵風土記稿より)


法心寺の周辺図