八咫神社。川越市上寺山の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

八咫神社。入間川を鎮めるために勧請

八咫神社の概要

八咫神社は、川越市上寺山にある八咫神社です。八咫神社の創建年代等は不詳ながら、当初より入間川寄りの小名八ツ口に鎮座、八口神社と称していました。このことから、出雲神話にでてくる八岐大蛇を素戔嗚尊が退治したように、八岐大蛇を入間川に見立てて、入間川を鎮めるために勧請したのではないかといいます。古くより領主の崇敬が篤く、松平伊豆守や松平大和守等が祈願、棟札写しが残されているといい、また上中下寺山三ヶ村の鎮守として崇敬されていました。当社に奉納される「まんぐり」「上寺山の獅子舞」は川越市無形民俗文化財に指定されています。

八咫神社
八咫神社の概要
社号 八咫神社
祭神 素盞嗚命
相殿 -
境内社 稲荷・天神・愛宕・神明・八坂・稲荷・姥
祭日 元旦祭・春祭り・秋祭り・新嘗祭
住所 川越市上寺山498-3
備考 -



八咫神社の由緒

八咫神社の創建年代等は不詳ながら、当初より入間川寄りの小名八ツ口に鎮座、八口神社と称していました。このことから、出雲神話にでてくる八岐大蛇を素戔嗚尊が退治したように、八岐大蛇を入間川に見立てて、入間川を鎮めるために勧請したのではないかといいます。古くより領主の崇敬が篤く、松平伊豆守や松平大和守等が祈願、棟札写しが残されているといい、また上中下寺山三ヶ村の鎮守として崇敬されていました。

新編武蔵風土記稿による八咫神社の由緒

(上寺山村)
八口社
上中下寺山村の鎮守にて、本地は千手観音なり、村内本山修験、林蔵院持、
末社。稲荷姥神合殿社、神明疱瘡合殿社 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による八咫神社の由緒

八咫神社<川越市上寺山四九八-三(上寺山字寺山)>
当社は現在入間川東岸に鎮座しているが、大正二年堤防拡幅工事前までは当地から三〇〇メートル西北の堤外に鎮座していた。古くは、社名も現在の八咫神社ではなく、八口社と称していた。また、小字名に八ツロがあり、おそらくここが元の鎮座地かと思われる。この八ツ口というのは出雲神話の中にある素盞嗚命が退治した頭尾八つに分かれた八岐大蛇からきており、出雲の簸川を大蛇に見立てたのと同様にこの八ツロは毎年氾濫する入間川であった。社の創立も、この洪水と八ツ口の地名にかかわるもので、入間川を和めるために神を祀ったものである。
祭神は、素盞鳴命で、神仏習合時代に本地であった准胝観音を安置している。
現存する棟札写しのうちの一枚は永禄一二年のもので「奉修造八口大明神祈念所」とあり、別当財泉院と書かれているが、現社殿の棟札である天保三年のものには、別当が「八口山林蔵院長久寺」と記されており、祀職に変遷があったことをうかがわせる。
『風土記稿』によると林蔵院は、本山派修験で、神仏分離により廃寺となっている。次いで同四年現社名に改称しており、これは神仏分離の影響と思われるが、口碑には、神社の杜に、もと鳥か多く棲んでいたことからこれを八咫烏と考え、社名に八咫をつけたという。(「埼玉の神社」より)


八咫神社所蔵の文化財

  • まんぐり(川越市指定無形民俗文化財)
  • 上寺山の獅子舞(川越市指定無形民俗文化財)

まんぐり

七月第二日曜日(昔は七月十四日)に行われる。青竹に麦わらを束ねて巻き、これに大天狗・小天狗と呼ばれる幣束と五色の小さな幣串を飾ったボンテンを作る。
そして、フセギの青竹二本・法螺貝・ボンテンの順で行列を組み村回りした後、入間川に飛び込んで水をかけ祈禱する。ボンテンは八咫神社境内にある石尊さまに納められる。大山信仰を基にした夏祈禱の行事である。(川越市教育委員会掲示より)

上寺山の獅子舞

市指定無形民俗文化財
十月第三土曜日(昔は十月二十二日)に行われる。大獅子・女獅子・中獅子の三頭の獅子を山の神(仲立ち)が先導する。これらは男子が、ささらっこは女子が演じる。曲目は、竿掛りを含み、「仲立ちの舞」「十二切の舞」などがある。途中誉め言葉がかかるのも特徴である。
起源は不明であるが、秋元侯が藩主であった頃、竹姫の眼病平癒のために、二十一日間獅子舞を奉納して祈願したところ、たちどころに直ったため、葵の御紋の入った麻幕を下賜されたとの伝承が残されている。(川越市教育委員会掲示より)

八咫神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」