陸道稲荷神社。川越市渋井の神社

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陸道稲荷神社。鎌倉街道の傍らに鎮座

陸道稲荷神社の概要

陸道稲荷神社は、川越市渋井にある稲荷神社です。陸道稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉街道の傍らに鎮座していることから陸道稲荷と呼ばれ、江戸期には村民持の社として祀られていました。明治維新後、村鎮守と定めるにあたり、当社を村社として祀り、渋井内に鎮座していた各社を境内に合祀しています。

陸道稲荷神社
陸道稲荷神社の概要
社号 陸道稲荷神社
祭神 宇迦之御魂命
相殿 -
境内社 八雲、雷神、疱瘡、春日、天神、神明、御嶽、仙元、弁天
祭日 -
住所 川越市渋井1333
備考 -



陸道稲荷神社の由緒

陸道稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉街道の傍らに鎮座していることから陸道稲荷と呼ばれ、江戸期には村民持の社として祀られていました。明治維新後、村鎮守と定めるにあたり、当社を村社として祀り、渋井内に鎮座していた各社を境内に合祀しています。

新編武蔵風土記稿による陸道稲荷神社の由緒

(澁井村)稲荷社
稲荷社
鎌倉街道の傍にあり、陸道稲荷と云、街道の傍にあればかく唱るとぞ、村民持、
末社。神明社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による陸道稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市渋井一三三三(渋井字江川端)>
当地は川越市の東南に位置し、上福岡市との境を新河岸川が流れ、この川に舟運が開けると同時に当地も発展したために、旧家の多くが川の提に沿って建てられている。
当社は鎌倉街道の傍らにあり陸道稲荷と呼ばれた。一方新河岸川の傍らには観音堂があり、これは当社よりも古いものといい、古くから秋の収穫祭は観音堂で行われている。
祭神は宇迦之御魂命であり、『風土記稿』に「村民持」とある。
明治初年、村鎮守を定めるように通達があったため、小祠であった当社に拝殿を増設し鎮守とした。
明治四五年字堤根の稲荷神社を本殿に合祀した。現在、境内社に春日・疱瘡・天神合殿社があるが、『風土記稿』に稲荷社と共に春日・疱瘡が慈眼寺の境内社になっていることから、春日・疱瘡もこの時移転、合祀されたものと思われる。また、大正九年には字江川端の雷神社・八雲神社・御嶽神社・浅間神社・字川久保の神明神社も境内に合祀した。このうち神明神社は旧家である黒須家奉仕の社であり、現在も同家が管理している。ほかに弁天石碑があるが、これは蓮光寺から移転したもので、以前、社頭にあった池の塘に祀られていたという。(「埼玉の神社」より)


陸道稲荷神社の周辺図