民部稲荷神社。川越市新富町の神社

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民部稲荷神社。民部という浪人に化けた老狐

民部稲荷神社の概要

民部稲荷神社は、川越市新富町にある稲荷神社です。民部稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、八王子郊外にいた老狐が民部という浪人に化けて寺の僧侶と交流していたものの、正体がばれてしまい川越の梵心山へ引越してきたという言い伝えが残され、この民部に化けた老狐を祀っています。寺の坊主と相撲を取っていたことや、寺の坊主に打身の治療法を教えたこと、引越前の別れ際に小判を提供したとも伝えられることから、金運上昇や打身捻挫にご利益があるとされて信仰を集め、相撲稲荷とも称されています。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿には「民部稲荷」と記載されていますが、その後荒廃、明治時代には川越八幡神社に遷されています。その後旧地とされる丸広百貨店北側で改めて祀られ、百貨店拡張に伴い屋上へ遷座しています。

民部稲荷神社
民部稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 稲倉魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 川越市新富町2-6-1丸広百貨店屋上
備考 -



民部稲荷神社の由緒

民部稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、八王子郊外にいた老狐が民部という浪人に化けて寺の僧侶と交流していたものの、正体がばれてしまい川越の梵心山へ引越してきたという言い伝えが残され、この民部に化けた老狐を祀っています。寺の坊主と相撲を取っていたことや、寺の坊主に打身の治療法を教えたこと、引越前の別れ際に小判を提供したとも伝えられることから、金運上昇や打身捻挫にご利益があるとされて信仰を集め、相撲稲荷とも称されています。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿には「民部稲荷」と記載されていますが、その後荒廃、明治時代には川越八幡神社に遷されています。その後旧地とされる丸広百貨店北側で改めて祀られ、百貨店拡張に伴い屋上へ遷座しています。

新編武蔵風土記稿による民部稲荷神社の由緒

(脇田村)
稲荷社
民部稲荷と稱す、由来詳ならず (新編武蔵風土記稿より)

「入間郡誌」による民部稲荷神社の由緒

民部稲荷社
今如何にせしやを知らず。此社に關しては、梵心山老狐の物語傳へらる。黒門町の邊にありしにや。(「入間郡誌」より)

「埼玉の神社」による民部稲荷神社の由緒

川越八幡神社<川越市南通町一九-一(脇田字西町)>
民部稲荷と称される神社には、興味深い伝説がある。
昔、八王子の方にあった寺の小僧が、毎夜毎夜どこかへ出掛けるので、不審に思った住職が、小僧に問うたところ、山奥の民部様という武士のところと答えた。住職は、小僧が世話になっている礼を述べたいからといって民部を寺へ招いた。その夜、民部は供を一人連れて寺に現れ、手厚い接待を受けた。酒も大分進んだ時に話題が角力のことに及ぶと、小僧と民部の供が角力を取り興趣を添えて、民部たちは和やかな時を過ごした。
翌朝、小僧と供が角力を取った場所に行ってみると、狐の毛が散らばっており、その旨を民部に問うと、民部は自分は狐であり、人間と付き合うのが好きで、昨夜は楽しい思いをさせてもらったが、ほかの狐に人間と付き合っているのをとがめられ、ここ(八王子)にはもはや住めなくなったので、川越の梵心山へ行くと告げた。
その梵心山とは現在の丸広デパートのある辺りで、長らくそこに民部稲荷が祀られていたが、明治になって八幡神社に合祀された。なお、丸広デパートの屋上にはこの稲荷が合祀されている。別名を角力稲荷とも称し、角力の絵馬を納める信仰が残っている。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による民部稲荷神社の由緒

民部稲荷の由来
郷土研究家 岡村一郎氏寄稿
昔、多摩郡八王子在の小僧が毎晩西の方、七、八町先にある民部様のお屋敷に遊びに出かけた。その方角はどこまでも山つづきでお屋敷などないのに変だと思った住職は、その民部様を一度このお寺にお連れ申せと小僧に命じた。やがて民部は駕篭に乗り十二、三人の供を連れてやってきた。よもやま話の末、民部がしきりに相撲自慢をするので住職もそれなら寺の坊主たちと民部の若党たちと相撲を取らせようということになった。さてやってみると民部側はみな小兵なのに滅法強く、寺の坊主たちは惨々に打ち負かされたが翌くる日みると相撲をとった跡に赤い毛や白い毛が沢山散らばっていた。
こうして正体を見破られた民部狐はもはや人界の交わりも適わぬため東北の方十里ばかりの入間郡川越の梵心山に移ることになった。そして訪ねてきた寺の小僧に涙ながらに別れを告げ、お礼だといって盆の上に山のように積んだ小判を差し出した。
これが、もと梵心町(現在新富町二丁目)にあった民部稲荷の伝説で、昔からこのお稲荷様を信仰すれば必ずお金持になるといわれまた打身挫きにも霊験あらたかで、お礼には相撲の絵馬をあげる習わしであった。この由緒あるお稲荷様の新社殿造営を機会に地域自治会と丸広百貨店が相談のうえ丸広百貨店屋上に御遷座申し上げ、家内安全、商売繁昌のお稲荷様として末長く奉祀することとなった。(境内掲示より)


民部稲荷神社の周辺図