宮元町妙義神社。川越市宮元町の神社

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宮元町妙義神社。伝太田道灌の庭内鎮守社

宮元町妙義神社の概要

宮元町妙義神社は、川越市宮元町にある妙義神社です。宮元町妙義神社の創建年代等は不詳ながら、かつては太田道灌の居館跡だったと伝えられる新河岸川の対岸(志多町8-4)に鎮座していたことから、太田道真・道灌父子が邸内守護神として創祀したのではないかといいます。江戸期には、屋敷跡に創建した照善院が、当社の別当を務めていました(明治維新後、照善院は廃寺)。昭和36年地番整理に伴い、志多町の地が氏子区域から外れてしまい、対岸(の宮元町)が氏子区域となったことから、昭和43年当地に遷座しています。

宮元町妙義神社
宮元町妙義神社の概要
社号 妙義神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭4月、宮元祭10月
住所 川越市宮元町32-5
備考 -



宮元町妙義神社の由緒

宮元町妙義神社の創建年代等は不詳ながら、かつては太田道灌の居館跡だったと伝えられる新河岸川の対岸(志多町8-4)に鎮座していたことから、太田道真・道灌父子が邸内守護神として創祀したのではないかといいます。江戸期には、屋敷跡に創建した照善院が、当社の別当を務めていました(明治維新後、照善院は廃寺)。昭和36年地番整理に伴い、志多町の地が氏子区域から外れてしまい、対岸(の宮元町)が氏子区域となったことから、昭和43年当地に遷座しています。

新編武蔵風土記稿による宮元町妙義神社の由緒

(東明寺村)
照善院
天台宗、行人派、江戸靈巌嶋普門院の觸下、長久山と號す、此寺地は元大田道灌の住せし處なりと、今も其跡とて一段許の地残れり。
大日堂。
妙義社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による宮元町妙義神社の由緒

妙義神社<川越市宮元町三二-五(東明寺字宮本町)>
当地は市の北部、新河岸川左岸の所々に水田が残る住宅地である。『明細帳』によると「口碑云此境内原ト太田道灌ノ屋敷跡ニシテ同氏ノ勧請ナリト然レドモ古書類等先年本社罹災ノ際悉皆鳥有ニ帰シ考フヘキモノナシ」とある。さらに『風土記稿』東明寺村の項には「照善院 天台宗行人派、江戸霊厳嶋普門院の触下、長久山と号す、此寺地は元太田道灌の住せし処なりと、今も其跡とて一段許の地残れり、大日堂、妙義社」と記す。
このことから当社は室町中期、川越城を築いた太田道真・道灌父子が屋敷の守護神として厚く信仰し、その後、屋敷跡に照善院が建ち別当を務めるようになったと考えられる。
明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治一〇年火災により社殿及び神体が焼失した。よって、氏子一同協議の上、本社である群馬県の妙義神社から新たに神体をいただいて来たと伝えられる。
昭和三六年、町名地番整理に伴い、従来からの社地(志多町八-四)が氏子区域から外れて祭りを行うにも不便となったため、同四三年現在地に移転した。
神明造りの本殿は、明治三七年の建立であり、内陣には幣束及び二洲石橋一敬書の「妙義大神」の掛け軸が納まる。(「埼玉の神社」より)


宮元町妙義神社の周辺図