浮島稲荷神社。川越市久保町の神社

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浮島稲荷神社。川越市文化財史跡名勝地

浮島稲荷神社の概要

浮島稲荷神社は、川越市久保町にある稲荷神社です。浮島稲荷神社は、太田道灌が河越城を築城の際に城内守護のために奉斎したといいます。当地一帯は多能武沢と言われ、三芳野の中でも眺望に優れていたことから川越市文化財史跡名勝に指定されています。

浮島稲荷神社
浮島稲荷神社の概要
社号 浮島稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭4月第1日曜日
住所 川越市久保町17
備考 -



浮島稲荷神社の由緒

浮島稲荷神社は、太田道灌が河越城を築城の際に城内守護のために奉斎したといいます。

「埼玉の神社」による浮島稲荷神社の由緒

浮島稲荷神社<川越市久保町六二六(松郷字枇琵琶町)>
当社は『川越素麺』によれば「松郷の分にして地低の所なり」とあり、地形が低いために久保町と名付けられたという。当社は町内の東はずれにあり、このあたりは古くから景勝の地として有名であったが、現在は住宅地となり往時の面影を偲ぶことはできない。
『明細帳』によると太田持資川越城築城の際、城地守護のため奉斎したといわれ、これを裏付けるものに明和九年松郷・小仙波両村境界論が起こった時、当時の別当、修験持宝院栄盛が審判の参考に提出した書類があり、七代以前より当社を管理し、奉仕した由が記されている。更にその祖先の福寿坊持伝は永禄三年八月七日に寂していることから、約三二〇年前に当社が既にあったことは明らかである。
文政九年一一月石鳥居を建設し、天保一一年社殿を再営する。
社名の由来については、往時この地一帯は田面沢と呼ぶ沼地で遠くから神社を眺めるとちょうど鳥のように浮かんで見えたことによるという。
明治の初めに社名を「浮島社」から「浮島稲荷神社」に改め、大正四年には本殿及び拝殿を再建して現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


浮島稲荷神社の周辺図