尾崎神社。川越市笠幡の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

尾崎神社。祭神素戔嗚尊・奇稲田姫命、笠幡の鎮守

尾崎神社の概要

尾崎神社は、川越市笠幡にある尾崎神社です。尾崎神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が当所を通った際、台地はずれの見晴らしのよい所だったことから尾崎の宮と称えて二神を祀ったと伝えられます。当社には宝徳4年(1451)銘・大永8年(1528か?)銘の板碑や天文20年(1551)銘の懸仏など中世の信仰が残されており、笠幡村の鎮守社として祀られてきました。

尾崎神社
尾崎神社の概要
社号 尾崎神社
祭神 素戔嗚尊・奇稲田姫命
相殿 -
境内社 天照両皇太神宮、金刀比羅社・妙見社・三峰社・御嶽社・厳島社・養蚕社・天満社・稲荷社・疱瘡社
祭日 -
住所 川越市笠幡1280
備考 笠幡の鎮守



尾崎神社の由緒

尾崎神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が当所を通った際、台地はずれの見晴らしのよい所だったことから尾崎の宮と称えて二神を祀ったと伝えられます。当社には宝徳4年(1451)銘・大永8年(1528か?)銘の板碑や天文20年(1551)銘の懸仏など中世の信仰が残されており、笠幡村の鎮守社として祀られてきました。

新編武蔵風土記稿による尾崎神社の由緒

(笠幡村)
尾崎明神社
素戔嗚尊を祭と云、神體は圓鏡に鑄造す、その銘に武州高麗郡笠幡郷尾崎、于時天文二十年六月吉日敬白とあり、外に慶長十二年の棟札あり、猶舊き棟札もあれど文字分たず、村中の鎮守なり、例祭九月二十九日、神職伊藤長門なり、
稲荷社、疱瘡社 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による尾崎神社の由緒

尾崎神社<川越市笠幡一二八〇(笠幡字宮前)>
当社は南に小畔川を臨み、老杉古檜が茂る広大な境内は野鳥の楽園ともなっている古社である。祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命で、その創始については、日本武尊が当所を通った折に、台地はずれの見晴らしのよい所ゆえ、尾崎の宮と称えて二神を祀ったと伝えている。
宝徳四年及び大永八年の銘がある五〇センチメートル余りの板碑と、市指定文化財となっている「大日本國武州高麗郡笠幡尾崎宮」と刻む天文二〇年の懸仏二面を蔵している。このほか神宝として天文五年銘祐定作の太刀、榎本武揚奉納の銅製社号額がある。
棟札も数枚あり、最も古いものは「慶長拾二年三月十五日禰宜伊藤刑部」と判読でき、以下、寛永一三年・貞享二年・元禄二年・寛文九年と続く。また、『明細帳』には天保九年にも再興したとある。現在の社殿は明治一八年に再営したもので、この時に草葺き屋根を瓦葺きとし、更に近年老朽化が進んだため昭和五六年に修復した。
祀職は神社に隣接している伊藤家である。同家は室町時代より二〇代以上続く社家であり、当社とともにその歴史は古く、慶長の棟札に伊藤刑部とあり、『風土記稿』にも「神職伊藤長門なり」とあるほか、元禄七年・享保九年・延享四年・寛政七年・文政八年・嘉永三年・慶応三年の裁許状が残っている。(「埼玉の神社」より)


尾崎神社所蔵の文化財

  • 芳地戸のふせぎ(川越市指定無形民俗文化財)
  • 懸仏二面(川越市指定工芸品)

芳地戸のふせぎ・懸仏二面について

悪魔払いの神事である「ふせぎ」を笠幡の芳地戸では、毎年春の彼岸の中日に行なっている。その日の午前中、神社でおみこしを作る。四角の木製の枠に榊や樫の小枝などを取付けただけの古風なもので中に神社の御本体を納める。神社でふせぎの祈禱を行なったあと、芳地戸の全部の家を廻る。村廻りの行列の先頭は太鼓である。「ヨーイド・マーダー」とはやし、「ドコデン・カッカ」と太鼓を打ちながら進む。次にみこし。昭和四十二~三年ぐらいまでは、一家の中まで入って清めていたが、今は庭まで。次に村境にたてる辻札八組と尾崎神社の幟一本。それに子供達が大勢従って行く。
又、この神社に保管されている懸仏は、神の本体という意味の御正体を仏像で現したものである。二面ある懸仏はどちらも直径十八・六センチメートルの円板状の板金でつくられ、釣手が二つある。中央に鋳造した半肉の仏像一体が取付けられており、室町時代の宗教的遺物として貴重なものである。(川越市教育委員会掲示より)

尾崎神社の周辺図