藤宮神社。川越市石田の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

藤宮神社。神が藤の花をめでて降りてきた社

藤宮神社の概要

藤宮神社は、川越市石田にある藤宮神社です。藤宮神社の創建年代等は不詳ながら、口承で「藤の花を神が愛でてそろりそろりとこの木を伝わり降りてきた」ことから当社を創建したと伝えられ、それに伴い鎮守を山田八幡神社から当社へと変更したといいます。石田・谷中・菅間・石田本郷の四カ村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治41年には4ヶ村に鎮座していた14社を合祀しています。当社に奉納される「筒がゆの神事」「石田の獅子舞」は川越市無形民俗文化財に指定されています。

藤宮神社
藤宮神社の概要
社号 藤宮神社
祭神 天児屋根命・藤原鎌足公
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 筒粥神事1月15日、春祭4月8・9日、夏祭り7月14・15日、秋祭り10月14・15日
住所 川越市石田783
備考 -



藤宮神社の由緒

藤宮神社の創建年代等は不詳ながら、口承で「藤の花を神が愛でてそろりそろりとこの木を伝わり降りてきた」ことから当社を創建したと伝えられ、それに伴い鎮守を山田八幡神社から当社へと変更したといいます。石田・谷中・菅間・石田本郷の四カ村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治41年には4ヶ村に鎮座していた14社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による藤宮神社の由緒

(石田村)
藤宮社
祭神詳ならず、神體は秘して人の見ることを許さず、本地佛彌陀・薬師の二軀を安ず、當村及び石田本郷・菅間・谷中の村々、古へは府川村の八幡社を鎮守とせしが、何の頃にや當社を勧請して、今は此四村の鎮守となせり、村内大正寺の持なり、
末社。辨天社、天王社
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神明社
前と同じ持、
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大正寺
天台宗、仙波中院の門徒なり、光明山遍照院と號す、本尊阿彌陀を安ぜり、
薬師堂
大日堂
地蔵堂
以上二宇大正寺の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による藤宮神社の由緒

藤宮神社<川越市石田七八三(石田字清蔵町)>
当地は口碑によると、往古、藤の大木があり毎年一丈もの花房を付けていた。ある時、この藤の花を神が愛でてそろりそろりとこの木を伝わり降りてきた。以来、村人は社を建て藤宮と名付け祀ったという。また、村人は豊かに下がる藤の花を稲の実りに見立て古くから作神として信仰したとも伝えている。
『風土記稿』によると、この藤宮は藤宮社と記され「祭神詳ならず神体は秘して人の見ることを許さず、本地仏は阿弥陀、薬師の二体を安ず」とあるが、現在の祭神は、天児屋根命・藤原鎌足公である。
別当は、天台宗大正寺で神仏分離まで当社を管理していたが、その後、廃寺となった。大正寺跡は現在、社殿向かって右側のゲートボール場である。
神仏分離直後の祀職については、明治三年の社蔵銅鈴に「奉納藤宮社ムサシノクニ入間郡 石田 菅間 谷中 石田本郷 右産土中 神主府川胤代」と刻まれている。
明治五年に当社は、石田・谷中・菅間・石田本郷の四カ村の鎮守であることから村社となり、同四一年には四カ村に祀る一四社が合祀される。その内、石田本郷の稲荷社、同境内社の天満神社は、昭和二七年に旧氏子の要望により旧地に戻され、氏子より離れた。(「埼玉の神社」より)


藤宮神社所蔵の文化財

  • 筒がゆの神事(川越市指定無形民俗文化財)
  • 石田の獅子舞(川越市指定無形民俗文化財)
  • 算額(川越市指定有形文化財)

筒がゆの神事

毎年一月十五日の早朝に行われる。一年の作柄と天候を占う正月の行事である。大釜に小豆一合・米一升・水一斗の割合で入れて煮、その中に十八本のヨシヅツを束ねたものを入れる。先端に団子をはさんだカユカキボウでかき回してヨシヅツを取り出し、それぞれのヨシヅツに入った米粒の数を数える。それらは大麦・小麦・大豆・小豆・大角豆・早稲・中手・晩稲・あわ・ひえ・木綿・芋・菜・大根・そば・雨・風・日の出来不出来を表わしている。
ヨシヅツを取り出した後の小豆粥は、食べると虫歯ができないと言われ、参加者にふるまわれる。(川越市教育委員会掲示より)

石田の獅子舞

四月第二日曜日(昔は四月八日)、七月十四日、十月十四日に行われる。獅子は大獅子・小獅子・女獅子の三頭で、山の神(ハイオイ)一人、ササラッコ四人で、提灯持ちとホラ貝吹きが付く。それに笛方と歌方数名が加わる。曲目は入端・岡崎・女獅子隠し・出端などで、農作物を干すような動作で舞うことから「干し物獅子」とも呼ばれている。舞の途中で「誉め言葉」「返し言葉」のやり取りが行われるのも特徴である。(川越市教育委員会掲示より)

算額

当社所蔵の算額は、市の指定文化財で明治四年一二月に奉納されている。これは氏子の谷中住人大野旭山によるものである。大野旭山は名を大野佐吉といい、最上流算術指南として川越城主松平斉典に仕えた。また、川越藩の宮沢熊五郎一利からも学び、川島領新川堀の河川工事などに大きな功績を残した。(「埼玉の神社」より)

藤宮神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」