梅田雷電神社。春日部市梅田の神社

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梅田雷電神社。板倉雷電大神を勧請

梅田雷電神社の概要

梅田雷電神社は、春日部市梅田にある神社です。梅田雷電神社は、日照り続きで苦しんでいた近隣の住民たちが元禄3年(1690)に上州板倉雷電大神を勧請して創建したといいます。梅田西の鎮守として祀られていました。

梅田雷電神社
梅田雷電神社の概要
社号 雷電神社
祭神 別雷命
相殿 -
境内社 天満宮、出世稲荷、浅間大神
祭日 -
住所 春日部市梅田3-46
備考 境外社:梅田山王日枝神社



梅田雷電神社の由緒

梅田雷電神社は、日照り続きで苦しんでいた近隣の住民たちが元禄3年(1690)に上州板倉雷電大神を勧請して創建したといいます。梅田西の鎮守として祀られていました。

境内石碑による梅田雷電神社の由緒

当雷電神社は、古代武蔵国太田庄百間領梅田村古隅田川の河畔に鎮座し、別雷命を祭祀とし、その創立は詳かならざししも古老の伝承によれば今を去る壱阡有余年の古から鎮守の神として信仰をあつめたり、と。また当神社境内前南側には「神池」と称する小池あり農作物の枯死せんとする時、直ちに池より水を汲み当神社に供えて祈願するや忽ちにして雷雲と共に慈雨をみ、霊験あらたかなり、と。以来、先人より神徳を崇め益々篤き信仰のお社と奉る。境内地に樹齢五百余年の老杉木等あり神社風致上伐木するに忍びざるも、保存の手段もなく、止むなく昭和二十七年十月、伐木された。四十年代に神社前に国道十六号が開通、これに伴い区画整理事業も推進されて社殿周辺も住宅街が現出するに至った。(境内石碑より)

新編武蔵風土記稿による梅田雷電神社の由緒

(埼玉郡梅田村)
雷電社
末社稲荷、(女體社とともに)村の鎮守、粕壁宿仙乗院持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による梅田雷電神社の由緒

雷電神社<春日部市梅田三-四六(梅田字西前)>
別雷命を祭神とする当社は、古隅田川の河畔に鎮座している。口碑によれば、当社の創建は元禄三年(一六九〇)七月十六日であり、当時、日照り続きで苦しんでいた近隣の住民たちが集まって大池を掘り、盛り土の上に上州(群馬県)の板倉雷電大神の分霊を勧請して祀り、雨乞いを行ったことに始まるという。かつて、拝殿の脇にあった「神池」はその名残であり、その後も、干ばつで農作物が枯死せんとする時、氏子らがこの池の水を汲んで神前に供えて降雨を祈願すれば、たちまちにして慈雨に恵まれたという。ちなみに、現在境内の一角にある浅間塚は、この大池を掘った際に出た土を盛って築いたものであると伝えられている。
「神池」の存在や、雷や水を司るといった祭神の神徳を考えると、当社は、この地で農業が栄えるようにとの祈りを込めて、梅田の開発者たちが祀った社であることがうかがえる。
江戸時代には『風土記稿』梅田村の項に「雷電社 末社 稲荷 ○女体社 二社ともに村の鎮守、以上粕壁宿仙乗院持」と載るように、当社は仙乗院の持ちであった。内陣には、明治十五年に伊勢太々連が奉納した神鏡が奉安されているだけであるが、この奉納の時期から、元来は本地仏や神像が祀られていたが、神仏分離によってそれが廃止されたため、代わりにこの神鏡を奉納した可能性が高い。(「埼玉の神社」より)


梅田雷電神社の周辺図