谷中稲荷神社。春日部市大場の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

谷中稲荷神社。春日部市大場の神社

谷中稲荷神社の概要

谷中稲荷神社は、春日部市大場にある神社です。谷中稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、原正一家が分家の際に本家の稲荷社の分霊を家の氏神として祀っていたものが、大場村の谷中組鎮守として祀られるようになったといいます。境内奥には、かつて稲荷坊と称する寮があり、昭和初期まで当社の管理を行っていたそうです。

谷中稲荷神社
谷中稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 豊受姫命
相殿 -
境内社 浅間神社、天神3、雷電社
祭日 初午祭3月初午日
住所 春日部市大場1251
備考 -



谷中稲荷神社の由緒

谷中稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、原正一家が分家の際に本家の稲荷社の分霊を家の氏神として祀っていたものが、大場村の谷中組鎮守として祀られるようになったといいます。境内奥には、かつて稲荷坊と称する寮があり、昭和初期まで当社の管理を行っていたそうです。

新編武蔵風土記稿による谷中稲荷神社の由緒

(埼玉郡大場村)
稲荷社二宇
雷電社二宇
四社共に光明寺の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による谷中稲荷神社の由緒

稲荷神社<春日部市大場一二五一(大場字谷中)>
大場の中には、古くから沖・下・中・新田・谷中といった村組がある。村全体の鎮守としては香取神社があるが、そのほか組ごとに祀っている神社も幾つかあり、当社は、そのうちの谷中で祀っている神社である。大場村の中でも谷中は低地にあり、耕地整理の前は「蛙の小便でも水がいく」といわれるほど水害も多かったが、一戸当たりの耕地面積は大場村の平均よりも広かったため、篤農家が多かった。
こうした地内の篤農家の中でも、草分けとして知られているのが、原又右衛門家である。同家は原一家(一族)の本家とされ、その先祖は原大隅守といい、武田家に属して武勇を誇っていたが、その後この地に土着したと伝えられる。稲荷社は、原氏が当地に移ってきた際に持ってきた守護神であった。原氏が土着してから三代後に分家したのが「イチロウ様」こと原正一家(分家以来一二代目)で、当社は、この原正一家が分家の際に本家の稲荷社の分霊を家の氏神として祀ったことに始まり、谷中に鎮守がなかったことから、やがて組の鎮守として住民全体で祀るようになったものという。
したがって、当社の境内も元来は原正一家の所有地で、末社の浅間社も、明治四十三年の耕地整理に際し、同家の屋敷から移したものである。なお、内陣には「壬寅天明二歳(一七八二)正月吉日 備中庄庄助 同亀之助」の銘がある全高一一センチメートルの荼枳尼天像が安置される。(「埼玉の神社」より)


谷中稲荷神社の周辺図