智福寺。毛呂山町西大久保にある真言宗智山派寺院

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智福寺。弘安・応長の板碑、中武蔵七十二薬師

智福寺の概要

真言宗智山派寺院の智福寺は、金玉山薬王院と号します。智福寺の創建年代等は不詳ながら、江戸期には牛頭天王社(西大久保八坂神社)を境内に擁していました。境内に安置されている弘安・応長の板碑は、廃寺となった常楽寺にあったものを当地へ移したもので、毛呂山町有形文化財に指定されています。中武蔵七十二薬師5番です。

智福寺
智福寺の概要
山号 金玉山
院号 薬王院
寺号 智福寺
住所 毛呂山町西大久保148
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



智福寺の縁起

智福寺の創建年代等は不詳ながら、江戸期には牛頭天王社(西大久保八坂神社)を境内に擁していました。

新編武蔵風土記稿による智福寺の縁起

(大久保村)
智福寺
新義眞言宗、石井村大智寺の門徒にて、金玉山と號す、本尊大日を安ず、
牛頭天王社。村の鎮守なり、
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常楽寺
天台宗羽黒派、江戸靈巌嶋普門院の配下なる由、今は破壊して纔に廢せざるばかりなり、
古碑二基。艮の方小笹・小松等生茂れる中に並び立り、こゝは土地平にして、往古寺院ありし蹟なるべきやなど云り、彼二基の碑、一は中央に弘安三年四月日、左右に右志者爲父母云々、幽靈頓證大菩薩、沙彌願主敬白と彫り、一は應長元年十月八日とえり、左右に弟子比丘尼佛沙彌願主三十三年と彫たる類、何人の碑なりや詳ならず、(新編武蔵風土記稿より)


智福寺所蔵の文化財

  • 弘安・応長の板碑(毛呂山町指定有形文化財)

弘安・応長の板碑

この二面の板碑は、もとは西大久保地区の東端にあった常楽寺に建てられていた板碑です。
左の板碑は、弘安三年(一二八〇)に沙弥願生が父母の追善供養の為に、右の板碑は応長元年(一三一一)に弟子の比丘尼が師の三十三回忌の為に建てたものです。二面の板碑は『新編武蔵風土記稿』大久保村の項に、常楽寺内に並び建つ古碑二基として紹介されています。
弘安の板碑は阿弥陀種子(キリーク)を主尊とし、その下に不動明王(カーンマーン)の荘厳体とみられる大変特殊な種子を配する珍しい板碑です。
応長の板碑は、種子を欠失していますが、大きく刻まれた紀年銘が目を引く板碑です。(毛呂山町教育委員会掲示より)

智福寺の周辺図