國津神神社。毛呂山町西戸の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

國津神神社。山本坊が別当を勤めていた熊野社

國津神神社の概要

國津神神社は、毛呂山町西戸にある神社です。國津神神社は、黒山熊野神社の別当を務めていた修験山本坊が、当地へ移転したことから、慶安元年(1648)当地に改めて熊野社を勧請して創建、江戸期には熊野社と称していたといいます。山本坊は、相馬掃部介時良入道山本坊栄円が応永年間(1394-1428)に開山した大寺で、慶安2年(1649)には江戸幕府より、山本坊は寺領47石および、熊野堂(黒山熊野神社)領として3石の御朱印状を受領しています。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治37年に地内の愛宕社・天満宮・稲荷社・住吉社を合祀、明治42年に箕和田稲荷神社と境内社大山祇社を合祀、大正4年に社号を國津神神社に改めています。

國津神神社
國津神神社の概要
社号 國津神神社
祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命
相殿 -
境内社 -
祭日 春祭り2月22日、秋祭り10月16・17日
住所 毛呂山町西戸916-1
備考 -



國津神神社の由緒

國津神神社は、黒山熊野神社の別当を務めていた修験山本坊が、当地へ移転したことから、慶安元年(1648)当地に改めて熊野社を勧請して創建、江戸期には熊野社と称していたといいます。山本坊は、相馬掃部介時良入道山本坊栄円が応永年間(1394-1428)に開山した大寺で、慶安2年(1649)には江戸幕府より、山本坊は寺領47石および、熊野堂(黒山熊野神社)領として3石の御朱印状を受領しています。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治37年に地内の愛宕社・天満宮・稲荷社・住吉社を合祀、明治42年に箕和田稲荷神社と境内社大山祇社を合祀、大正4年に社号を國津神神社に改めています。

新編武蔵風土記稿による國津神神社の由緒

(西戸村)
天神社
修験圓蔵院の持、
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住吉社
熊野社
以上二社、修験山本坊の持、
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山本坊
慶安二年寺領四十七石及熊野堂領三石の御朱印を賜へり、熊野は郡内黒山村にありて、今もこゝにて別當せり、本山派の修験、京都聖護院の末なり、開山榮圓應永廿一年示寂せり、
行者堂。役小角の像を安置す、
龍光院、圓蔵院。二院共に山本坊の配下なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による國津神神社の由緒

国津神神社<毛呂山町西戸九一六(西戸字愛宕下)>
現在、越生町黒山に石造の役行者像と宝篋印塔がある。これはかつて武蔵のうち入間郡・秩父郡・比企郡と常陸・越後の一部にわたり本山派修験を管理した山本坊の遺跡であり、宝篋印塔の銘文に「山本開山権大僧都栄円和尚 応永二十年癸巳十月日」「法勝禅門寿塔 応永廿一年甲午五日」とある。当社はこの山本坊と深いつながりを持っている。
当社の創建にかかわる氏子の相馬家(屋号オヤカタ)の先祖は越生の山本坊を興した栄円の後裔で、越生の熊野社の別当である。当社は同家が居を移したことに伴い、慶安元年、熊野社をこの地に勧請したものである。また、勧請後同家は当社と越生の両熊野社の別当を兼ね、山本坊と称し、慶安二年には寺領四七石、熊野社領三石の朱印を受けるとともに、京都聖護院直末の本山派修験として霞の教化を行った。なお、年行事職大先達も務め、配下の寺は四八カ寺に及んだ。
当地の配下の寺は竜光院・円蔵院で、役行者堂も置かれていた。
明治に入り、神仏分離のため山本坊は別当を離れ、代わって出雲伊波比神社社家紫藤家が祀職を務めるようになり、現在に至っている。
明治五年に村社となり、同三七年、当所の愛宕社・天満宮・稲荷社・住吉社を本殿に合祀し、更に、同四二年に大字箕和田字高山木の稲荷社と境内社大山祇社を合祀した。また、大正四年には社号を熊野社から国津神神社に改めた。(「埼玉の神社」より)


國津神神社所蔵の文化財

  • 山本坊の芭蕉の句碑(毛呂山町指定記念物)

山本坊の芭蕉の句碑

山本坊の二十五世、徳栄法印(別号は紫梅)の建立といわれるこの句碑には「山さとは うめの花 はせを」と刻まれている。江戸前期の有名な俳人、松尾芭蕉への追慕の気持ちが強く、徳栄は、かつて芭蕉が故郷の伊賀で詠んだこの句を選んで自然石に刻んだものである。この句の意味は、普通ならば正月に訪れる”万歳芸人”が、田舎の山さとには梅の花が咲く春先にならないとやって来ない というような意味であろう。
徳栄は文化四年(一八〇七)生まれで、わが郷土の誇る俳人、川村碩布の門人であり、俳号を「曰二」といい、多くの句集や短冊に句をのこしている。また、生来文筆に優れ、神社の幟、筆塚などの銘文にその筆跡をとどめている。さらに武を嗜み、幕末の混乱期には村々に起こった無頼の暴徒の鎮圧にあたった。明治維新後は神官となり、明治十一年(一八七八)に七十歳で亡くなったという。(境内掲示より)

國津神神社の周辺図