十社神社。毛呂山町大類の神社

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十社神社。苦林野合戦で戦死した十士を祀る社

十社神社の概要

十社神社は、毛呂山町大類にある神社です。十社神社は、貞治2年(1363)の苦林野合戦で戦死した芳賀氏の家臣金井新左エ門ほか九名の霊を弔うため、十士明神と称して創建したと伝えられ、江戸期には大類村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治40年地内の愛宕神社・神明社・諏訪神社を、大正3年苦林の鹿島神社、稲荷神社を合祀しています。

十社神社
十社神社の概要
社号 十社神社
祭神 金井新左エ門以下九士の霊
相殿 -
境内社 稲荷社、弁財天
祭日 春祭り3月5日、秋祭り10月10日
住所 毛呂山町大類29
備考 -



十社神社の由緒

十社神社は、貞治2年(1363)の苦林野合戦で戦死した芳賀氏の家臣金井新左エ門ほか九名の霊を弔うため、十士明神と称して創建したと伝えられ、江戸期には大類村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治40年地内の愛宕神社・神明社・諏訪神社を、大正3年苦林の鹿島神社、稲荷神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による十社神社の由緒

(大類村)
十社明神社
村の鎮守なり、祭神詳ならず、村内大薬寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による十社神社の由緒

十社神社<毛呂山町大類二九(大類字神明台)>
当地は、越辺川と高麗川に挟まれた台地上に位置する。西境には往時上州と相州とを結ぶ主要交通路として利用された鎌倉街道が、今も雑木林のなかに一条の古道として残る。地内には六、七世紀の古墳が散在し、更に当社の鎮まる字神明台の辺りには、中世に活躍した児玉党の一族大類氏の館跡がある。地名の由来も同氏の土着によるとされ、この地が古くから開けていたことがうかがわれる。また、当地の中心となる宿場町の街道は、敵からの防御のため上・下の外れがそれぞれ鉤の手状に作られていた。
由緒は『明細帳』に「該社創立ノ年月日ハ右社ニ附属セシ古記録等往時別当当村大薬寺享保慶応両年度火災ニ罹リ焼失シタルヲ以テ詳カナラスト雖モ古来伝ヘ云フ貞治二癸卯年足利基氏芳賀某ナルモノト当郡苦林野ニ戦フ其時僧秀賀ナルモノ戦死者芳賀臣金井新左エ門外九名ノ霊ヲ祭レリト因テ右ハ十士明神ト称ス後今ノ社号ニ改ムト云フ旧来産土神タルヲ以テ明治五年ニ村社ニ列セラル」とあり、主祭神は金井新左エ門以下九士の霊である。なお、往時別当を務めた真言宗大薬寺は、大類氏の菩提寺であった。
合祀は、明治四〇年に同大字字愛宕台の愛宕神社、字神明台の神明社、字諏訪台の諏訪神社、大正三年に大字苦林字清水の鹿島神社、字木下の稲荷神社について行っている。(「埼玉の神社」より)


十社神社の周辺図