大豆戸三嶋神社。比企郡鳩山町大豆戸の神社

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大豆戸三嶋神社。上杉禅秀の乱に際して三嶋大社を勧請

大豆戸三嶋神社の概要

大豆戸三嶋神社は、比企郡鳩山町大豆戸にある神社です。大豆戸三嶋神社は、応永23年(1416)の上杉禅秀の乱に際して関東管領・左兵衛督源朝臣足利持氏が三嶋大社に戦勝祈願、無事平定を果たしたことから、大豆戸領を三嶋大社へ寄進、当社はその神領の鎮守として建立されたといいます。江戸期には大豆戸村の鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領12石の御朱印状を受領していました。

大豆戸三嶋神社
大豆戸三嶋神社の概要
社号 三嶋神社
祭神 火産霊命
相殿 -
境内社 稲荷、恵比須
祭日 春祈禱2月25日、秋季例大祭10月17日前後の日曜日
住所 比企郡鳩山町大豆戸788
備考 -



大豆戸三嶋神社の由緒

大豆戸三嶋神社は、応永23年(1416)の上杉禅秀の乱に際して関東管領・左兵衛督源朝臣足利持氏が三嶋大社に戦勝祈願、無事平定を果たしたことから、大豆戸領を三嶋大社へ寄進、当社はその神領の鎮守として建立されたといいます。江戸期には大豆戸村の鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領12石の御朱印状を受領していました。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治40年八幡社・天神社・諏訪社を合祀しています。当社参道では、文政9年(1826)まで流鏑馬神事が奉納されていたことから、現在でも馬場と呼ばれているそうです。

新編武蔵風土記稿による大豆戸三嶋神社の由緒

(大豆戸村)
三島社
當村もとは伊豆三嶋の神領にてありし故、勧請せしものと見えたり、慶安二年社領十二石の御朱印を賜ふ、村内の鎮守にて、毎年九月流鏑馬を興行す、本尊薬師の畫像を掛く、眞光寺持、
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八幡社
村民持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大豆戸三嶋神社の由緒

三嶋神社<鳩山町大豆戸七八八(大豆戸字宮山)>
大豆戸は、江戸期は豆戸・馬見戸とも記した。岩殿丘陵の南部に位置し、一帯は鳩川支流の浸食からできたなだらか斜面である。当社は旧鎌倉街道上道の西側に鎮座している。
当社は、左兵衛督源朝臣足利持氏が応永二十三年(一四一六)の上杉禅秀の乱の平定に当たり、この地に陣して天下安泰と戦勝を祈願し、伊豆の三嶋社の分霊を祀ったことに始まると伝える。持氏は、乱を翌年正月に鎮圧できたことから、祈願成就によって十月十四日に伊豆の本社に「武蔵国比企郡大豆戸郷」を社領として寄進した。この時の寄進状は三嶋大社に保存されている。以後、当社は伊豆の三嶋社の神領の鎮守として崇敬されたものであろう。
『風土記稿』大豆戸村の項に「三嶋社 当村もとは伊豆三嶋の神領にてありし故、勧請せしものと見えたり、慶安二年(一六四九)社領十二石の御朱印を賜ふ、村内の鎮守にて、毎年九月流鏑馬を興行す、木地薬師の画像を掛く、真光寺持」と記している。これに見える別当真光寺は真言宗の寺院で、応永元年(一三九四)の草創と伝える。
拝殿には、神祇管領長上の卜部氏の揮事と伝える「三嶌大明神」の社号額が掲げられている。奉納は江戸中期から鋳物製造で財を成した宮崎家である。
明治四十年四月に、八幡社・天神社・諏訪社の三社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


大豆戸三嶋神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)