小用鹿島神社。比企郡鳩山町小用の神社

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小用鹿島神社。治承年間に比企掃部允が創建

小用鹿島神社の概要

小用鹿島神社は、比企郡鳩山町小用にある神社です。小用鹿島神社の創建については詳細不明ながら、治承年間(1177-1181)に比企掃部允が創建したと伝えられ、昭和27年ごろまでは小用大沼近くに鎮座していたといいます。江戸期には小用村の鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領6石の御朱印状を受領していました。明治維新後の明治4年字内中島の神明社と字雷電山の雷電社を合祀、明治5年村社に列格していました。

小用鹿島神社
小用鹿島神社の概要
社号 鹿島神社
祭神 健御賀津智命
相殿 -
境内社 -
祭日 秋祭り10月17日
住所 比企郡鳩山町小用399-1
備考 -



小用鹿島神社の由緒

小用鹿島神社の創建については詳細不明ながら、治承年間(1177-1181)に比企掃部允が創建したと伝えられ、昭和27年ごろまでは小用大沼近くに鎮座していたといいます。江戸期には小用村の鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領6石の御朱印状を受領していました。明治維新後の明治4年字内中島の神明社と字雷電山の雷電社を合祀、明治5年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による小用鹿島神社の由緒

(小用村)
鹿島社
社領六石の御朱印を附せらる、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による小用鹿島神社の由緒

鹿島神社<鳩山町小用三九九-一(小用字明神山)>
岩殿丘陵の南部に位置する当地は、鳩川に向かうなだらかな斜面に畑が広がる農業地帯である。地内を旧秩父往還が通る。
当社は、治承年間(一一七七-八一)に比企掃部允が創建したと伝える。掃部允の妻は源頼朝の乳母の比企禅尼である。
『風土記稿』小用村の項に「鹿島社村領六石の御朱印を附せらる別当興長寺」と載る。社領六石の安堵は、慶安二年(一六四九)十一月のことで、三代将軍徳川家光から賜ったと伝える。
別当の興長寺は、真言宗寺院で今市村法恩寺の末寺である。寺伝には、建久元年(一一九〇)に越生四郎家行が主君源頼朝の命を受け、源家繁栄祈願のために建立したのが草創とされる。また、地内には福徳院もあり、興長寺と同様に法恩寺の末寺で、如意山と号し、本尊は如意輪観音であった。
当社の内陣には、如意輪観音の懸仏が奉安されており、福徳院とのかかわりをうかがわせる。恐らく別当のほかに、福徳院も当社の祭祀・管理を司っていたのであろう。同寺は今は残っていない。
明治四年三月に、字内中島の神明社と字雷電山の雷電社を合祀し、翌年三月をもって村社に列した。
当社は、元は大豆戸との境の大沼付近にあり丘陵を背に鎮座していたが、昭和二十七、八年ごろに村の中心である現社地に移転した。(「埼玉の神社」より)


小用鹿島神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)