寶蔵寺。飯能市中居にある曹洞宗寺院

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寶蔵寺。加治文吾新左衛門尉丹氏朝臣貞継開基

寶蔵寺の概要

曹洞宗寺院の寶蔵寺は、青雲山と号します。寶蔵寺は、加治文吾新左衛門尉丹氏朝臣貞継(応永3年1396年卒)が開基となり創建、その後上杉氏の家老大石信重の子重仲が当地を領有していた際に中興、能仁寺四世格外玄逸(慶長9年1604年化)が曹洞宗寺院として開山しています。昭和58年に本堂の須弥壇床下から発見された宝蔵寺一字一切経は、寛文9年(1669)に埋納されたもので、飯能市有形文化財に指定されています。高麗三十三ヶ所霊場2番です。

寶蔵寺
寶蔵寺の概要
山号 青雲山
院号 -
寺号 寶蔵寺
本尊 釋迦牟尼仏像
住所 飯能市中居100
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



寶蔵寺の縁起

寶蔵寺は、加治文吾新左衛門尉丹氏朝臣貞継(応永3年1396年卒)が開基となり創建、その後上杉氏の家老大石信重の子重仲が当地を領有していた際に中興、能仁寺四世格外玄逸(慶長9年1604年化)が曹洞宗寺院として開山しています。

新編武蔵風土記稿による寶蔵寺の縁起

(中居村)
寶蔵寺
青雲山と號す、曹洞宗、郡中飯能村能仁寺末、開山とする所は、能仁寺四世格外玄逸、慶長九年三月廿八日化す、是より前のことは傳へず、開基は加治文吾新左衛門尉丹氏朝臣貞繼、應永三年八月朔日卒す、法名は山翁仁公庵主寺後の山腹に加治氏の庵跡あり、一區の平地十五六歩、その西北東に曲りて深さ五六尺の堀切あり、又庵地の後山に五輪の石塔あり、加治新左衛門の墓なりと云、外に文永四年十月と勒せし碑あり、何人の碑たることを知らず、中興開基大石駿河守源重仲位牌あり、檀那駿州太守心渓安公禅定門神儀と刻す、背面に于時享徳乙亥源朝臣大石重仲、齢四十七正月廿五日逝去畢とあり、本尊阿彌陀を安ず、木の立像長三尺一寸、行基の作と云、(新編武蔵風土記稿より)

飯能市史資料編による寶蔵寺の縁起

宝蔵寺(飯能市大字中居字吾妻台100番地)
開基は加治貞継応永3年(1396)8月1日没とあり(郷土史)飯能における古刹の一つである。
「その後上杉氏の家老大石信重の子重仲がこの地を領するに及んで(推定)中興した。」(郷土史)という。(飯能市史資料編より)


寶蔵寺所蔵の文化財

  • 宝蔵寺一字一切経

宝蔵寺一字一切経

宝蔵寺一字一切経は、昭和五八年本堂を改修したさいに須弥壇の床下を堀りくぼめた穴(四・五メートル×深さ二〇センチメートル)から発見された。経石の数は六万個を数え、そのうち二,八四九点に墨書された経文及び墨跡が確認されたまた孔雀・地蔵などの絵を描いた石が発見された。一緒に納められた願文石には、寛文九年(一六六九)本堂を改修するにあたり妙法蓮華経を書写して埋納したと記されている。
一字一切経は小石に一文字から数文字の経文を書写し埋納されたもので、中世から近世にかけて築造され、近世に盛んとなる。また多くの人々の参加により埋納された。
宝蔵寺一字一切経は、埋納縁起を記した願文石及び絵を描いた石を伴い、須弥壇下より発見された貴重な例である。(飯能市教育委員会掲示より)

寶蔵寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」