宗穏寺。飯能市南にある曹洞宗寺院

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宗穏寺。村民平沢某開基、飯能市指定有形文化財の阿弥陀如来立像

宗穏寺の概要

曹洞宗寺院の宗穏寺は、自在山と号します。宗穏寺は、龍穏寺12世日峯伊鯨(天正9年1581年寂)が開山、村民平沢某(慶安2年1649年沒)が開基したといいます。当寺の阿弥陀如来立像は、南栃屋谷の旧宗国寺から寄託されたもので、飯能市有形文化財に指定されています。

宗穏寺
宗穏寺の概要
山号 自在山
院号 -
寺号 宗穏寺
本尊 十一面観世音菩薩像
住所 飯能市大字南255
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



宗穏寺の縁起

宗穏寺は、龍穏寺12世日峯伊鯨(天正9年1581年寂)が開山、村民平沢某(慶安2年1649年沒)が開基したといいます。

新編武蔵風土記稿による宗穏寺の縁起

(中澤組)
宗穏寺
自在山と號す、曹洞宗、阪石町分法光寺末、本尊十一面觀音、木坐像長一尺五寸、行基の作、開山入間郡越生郷龍穏寺十二世日峯伊鯨、天正九年九月廿一日示寂、開基は村民平沼某、慶安二年六月廿一日歿せり、除地壹段貮畝、この寺四世の僧全國と云るは、博議の聞あり、人これを鬼全國と稱呼せりと云、後年江川青龍寺に移居せり、
大黒天厨子入一體。卯子鑄造、長一寸、俵の上に立てり、古く傳来すと云、(新編武蔵風土記稿より)

飯能市史資料編による宗穏寺の縁起

宗穏寺(大字南字上中沢255)
明治11年に火災のため建造物は全て焼失し、明治12年仮本堂、明治23年庫裡、昭和19年には山門が建設された。
また昭和37年には本堂を再建した。
新編武蔵風土記稿によれば、開山日峯伊鯨天正9年(1581)9月21日示寂とあり、開基は村民平沢某とある。
(飯能市史資料編より)


宗穏寺所蔵の文化財

  • 木造伝阿弥陀如来立像(飯能市指定有形文化財)

新編武蔵風土記稿による宗穏寺の縁起

寺伝によれば、この像は南栃屋谷の旧宗国寺にあったものが、宗穏寺に寄託され、阿弥陀如来として信奉されてきたものである。檜材の一木造りで、像高五一センチの小ぶりな立像である。両手先は欠失しているが、頭部から蓮肉の一部を含めた全身を一材から木取し、内刳りも施していない、平安初期一木造りの古い様式を伝えている。
半面、丸顔に伏眼がちの眼や、ふくらみのある頬、肉髻をやや小さく見せる表現、なで肩の造形などに新しい藤原様式が見られる。これらの特徴をもつ本像は、市内に残る重要な平安仏である。(飯能市教育委員会・自在山宗穏寺掲示より)

宗穏寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」