唐竹白髭神社。飯能市唐竹の神社

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唐竹白髭神社。高麗人が入植した際に祀った社

唐竹白髭神社の概要

唐竹白髭神社は、飯能市唐竹にある神社です。唐竹白髭神社は、高麗人が高麗郷に霊亀2年(716)入植、入植後に各地に祀った白鬚神社の一つと推定され、延暦2年(783)に大山の山上に当社を奉斎、貞和5年(1349)には山麓の小山に遷座し、その後、当地に遷座したと伝えられます。江戸期には幕府より慶安2年(1649)に社領4石5斗の御朱印状を受領していました。明治元年に社号を唐竹神社と改号、明治5年村社に列格、明治41年下赤工字宮ノ脇に鎮座する無格社神明社を合祀し、明治45年に白鬚神社と改号しています。

唐竹白髭神社
唐竹白髭神社の概要
社号 白髭神社
祭神 猿田彦命、天照大御神
相殿 -
境内社 諏訪社、俵神様、神明社、琴平社、淡島社
祭日 例祭7月26日、
住所 飯能市大字唐竹9-2
備考 -



唐竹白髭神社の由緒

唐竹白髭神社は、高麗人が高麗郷に霊亀2年(716)入植、入植後に各地に祀った白鬚神社の一つと推定され、延暦2年(783)に大山の山上に当社を奉斎、貞和5年(1349)には山麓の小山に遷座し、その後、当地に遷座したと伝えられます。江戸期には幕府より慶安2年(1649)に社領4石5斗の御朱印状を受領していました。明治元年に社号を唐竹神社と改号、明治5年村社に列格、明治41年下赤工字宮ノ脇に鎮座する無格社神明社を合祀し、明治45年に白鬚神社と改号しています。

新編武蔵風土記稿による唐竹白髭神社の由緒

(唐竹村)
白髭社
慶安二年四石五斗の御朱印を賜はる、神體の銘文に天和四年二月廿八日、しけ吉とあり、例祭六月十五日、村の鎮守なり、神職木橋左門吉田家の配下なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による唐竹白髭神社の由緒

白髭神社<飯能市唐竹九〇二(唐竹字清水)>
鎮座地唐竹の地名は、霊亀二年(七一六)に、本邦に来住していた高麗人一七九九人を武蔵国に移し、高麗郷と称したが、この時、高麗人が高麗から移した竹を植えたことに由来する。高麗人たちは猿田彦大神を尊敬していたことから、郡中六ヵ所にこの神を祀ったと伝えられ、当社はその一つと考えられている。
社伝によれば、延暦二年(七八三)に大山の山上に当社を奉斎したが、貞和五年(一三四九)には山麓の小山に遷座し、その後、現在地に移したという。山麓に降ろした時に鋳造したと伝えられる懸仏(『明細帳』には「神鏡」と載せる)二面が現存し、それぞれ直径二〇センチメートルで貞和五年五月一三日藤原信綱の銘があり、一面は千手観音像、他の一面は像の部分が脱落している。このほか文和四年と年代不明の懸仏二面、猿田彦立像一体、高麗王の杖と称する竹一本がある。
祭神は猿田彦命と天照大御神の二神で、かつては白鬚大明神と称し、慶安二年には社領として朱印地四石五斗を受けていた。明治元年に社号を唐竹神社と改め、同五年村社となり、同四一年下赤工字宮ノ脇に鎮座する無格社神明社を合祀し、同四五年に社号を白鬚神社と改めた。(「埼玉の神社」より)

飯能市史資料編による唐竹白髭神社の由緒

創建年月日は、はっきりしないが、霊亀2年(716)高麗郡設置の頃といわれている。
明細帳によれば、村民の口碑から、その後、貞和年間(1345~1349)に懸仏(御正体)が奉納された。
明治元年10月社号白髭神社を唐竹神社と改称したが、同45年1月29日、大字下赤工宮脇の神明神社を合祀した。(飯能市史資料編より)


唐竹白髭神社所蔵の文化財

  • 白鬚神社本殿(飯能市指定有形文化財)

白鬚神社本殿

白鬚神社は、霊亀二年(七一六年)高麗郡が設置された頃の創建と伝える古社である。祭神は猿田彦命・天照大御神の二神を祀る。
本殿は、一間社流造り目板葺である。身舎は丸柱、向拝は角柱を用い、ともに欅材である。浜縁は表側を広くとり振隅とし、階は七級で当初の浜縁束を残している。
向拝は柱の内側に宝珠柱をたてたので、前面は賑やかで古式であり、斗栱なども洗練されている。
この本殿は室町時代末期頃の造営で、各部に神社建築の古制を踏襲した質の高い建物である。(飯能市教育委員会・白鬚神社掲示より)

唐竹白髭神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」