瑠璃光寺。深谷市稲荷町北にある天台宗寺院

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瑠璃光寺。関東九十一薬師霊場の寅薬師、深谷七福神

瑠璃光寺の概要

天台宗寺院の瑠璃光寺は、深谷山光明院と号します。瑠璃光寺の創建年代等は不詳ながら、大同2年(807)に慈覚大師が創建したとも、又承和2年(835)の創建とも伝えられ、鎌倉時代には七堂伽藍を備えていたといいます。室町時代には深谷城主上杉氏は当寺薬師堂の寅薬師を、城の鬼門除けとして崇敬、徳川家康逝去(1616)後に徳川家康の遺骨を日光に奉遷する際には天海僧正が当寺で休憩、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を受領しています。当寺薬師堂の薬師如来像は寅薬師と称され、関東九十一薬師霊場39番、武蔵国十三仏霊場の(大日如来)12番、又深谷七福神の大黒天です。

瑠璃光寺
瑠璃光寺の概要
山号 深谷山
院号 光明院
寺号 瑠璃光寺
本尊 釈迦如来像
住所 深谷市稲荷町北9-25
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



瑠璃光寺の縁起

瑠璃光寺の創建年代等は不詳ながら、大同2年(807)に慈覚大師が創建したとも、又承和2年(835)の創建とも伝えられ、鎌倉時代には七堂伽藍を備えていたといいます。室町時代には深谷城主上杉氏は当寺薬師堂の寅薬師を、城の鬼門除けとして崇敬、徳川家康逝去(1616)後に徳川家康の遺骨を日光に奉遷する際には天海僧正が当寺で休憩、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を受領しています。当寺薬師堂の薬師如来像は寅薬師と称され、関東九十一薬師霊場39番です。

新編武蔵風土記稿による瑠璃光寺の縁起

(西島村)薬師堂
小名薬師堂にあり、慶安二年八月御朱印を賜て拾石を領す。土人いかなる故にや、寅薬師と呼。
仁王門。地蔵堂。弥陀堂。山王社。弁天社。稲荷社。
鐘楼。宝永四年の鐘をかく。
別当瑠璃光寺。
天台宗、上野国新田郡世良田村長楽寺末、深谷山光明院と号す。本尊釈迦を安ず。当寺の起立は大同二年にて、開山を慈覚大師と云。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による瑠璃光寺の縁起

天台宗で深谷山光明院といい、開山は慈覚大師、大同二年(八〇七)創建と伝えられる。鎌倉時代には七堂伽藍を完備し、室町期深谷城主上杉氏は当寺の薬師堂の寅薬師を、城の鬼門除けとして深く崇拝した。江戸時代、天海僧正が徳川家康の遺骨を日光に奉遷の際、当門に休憩したことから、幕府から慶安二年(一六四九)御朱印寺領十石が下付された。境内の板碑は建治(鎌倉時代)のもので、側に慈覚大師御手植えの椎の樹あり、本堂前の定門は構造簡素だが、建立は天正十七年で、深谷落城の前年である。仁王門は享保年間の建立で、仁王の股をくぐると「はしか」が軽いということから、近郷の人々の信仰をあつめた。
昭和五十九年三月 深谷上杉顕彰会(境内掲示より)

境内石碑による瑠璃光寺の縁起

深谷山光明院瑠璃光寺。通称薬師堂とも言われている。當寺の起立を大同二年又承和二年とされているがその間二十八年の差あれどもその創立は平安時代で当市第一といえよう。当寺の全盛時代は鎌倉時代で所謂七堂伽藍完備し現在仁王門の正面薬師堂あたりに本堂があった。それより東に庫裏があったと見え現本堂の裏手には昔時庭園と思惟される跡が残っている。大樹巨木がうっそうとして住時における大寺の面影歴然としている。
昭和初期境内より鎌倉時代の古瓦青石塔婆が出土し古くして盛んだった当時を偲ば占めているこの青石塔婆は建治二年八月十五日に建立されたものである。なお慈覚大師御手植えと伝える椎樹がある
薬師堂本尊は寅ヶ淵より出現せられ作は室町時代深谷城主の鬼門除として有名だったと伝えられる。
本堂前の小門はその構造は簡素小規模のものだが建立は天正十七年といわれている。
仁王門は享保年間の建立で葵の紋章がつけてある扁額「深谷山」は佐文山の書である。寺伝に寄れば天海僧正が徳川家康の遺骨を日光に奉遷の際表向きには川越より館林方面に行列を仕立て、実は川越より古鎌倉街道を深谷に下り当門に暫時休憩雨宿りした後世世良田長楽寺に向いたる由にて幕府は右の如き由緒にて特に御朱印十石を賜わり明治初年に至ったのである。この仁王門は霊験あらたかで子供がここに詣でて仁王の股を潜れば麻疹が軽減されると言われ毎年陽春の頃賑わっている。(境内石碑より)


瑠璃光寺所蔵の文化財

  • 秘仏薬師如来
  • 八臂観音
  • 金紙紺泥法華経
  • 仁王門
  • 薬師堂
  • 定門
  • 深谷山扁額
  • 古瓦
  • 曲玉
  • 青石塔婆
  • 明画

瑠璃光寺の周辺図