鹿島古墳群。深谷市本田にある旧跡・名所

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鹿島古墳群。埼玉県指定史跡の円墳群

鹿島古墳群の概要

鹿島古墳群は、深谷市本田にある名所旧跡です。鹿島古墳群は、荒川右岸の鹿島・台・平方裏地区にある円墳群です。古墳時代の6世紀後半から8世紀初頭にかけて築造された直径10m~30mの円墳でかつては100基以上確認されたといいます。当地にはかつて弘仁2年(811)に勧請したと伝えられる鹿島社が鎮座(鹿島社は明治41年本田春日神社境内へ遷座)していたことから、小名(字名)を鹿島といい、この小名より当円墳群を鹿島古墳群と呼称しています。

鹿島古墳群
鹿島古墳群の概要
旧跡・名所名 鹿島古墳群
みどころ 埼玉県指定史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 深谷市本田
備考 -




鹿島古墳群の縁起

鹿島古墳群は、荒川右岸の鹿島・台・平方裏地区にある円墳群です。古墳時代の6世紀後半から8世紀初頭にかけて築造された直径10m~30mの円墳でかつては100基以上確認されたといいます。当地にはかつて弘仁2年(811)に勧請したと伝えられる鹿島社が鎮座(鹿島社は明治41年本田春日神社境内へ遷座)していたことから、小名(字名)を鹿島といい、この小名より当円墳群を鹿島古墳群と呼称しています。

新編武蔵風土記稿による鹿島古墳群について

(男衾郡本田村)
鹿島社
弘仁二年の勧請なりと云傳ふ、社後荒川の岸に護摩壇石岩と云所あり、弘法大師護摩を焚し所といへり、教念寺持、(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による鹿島古墳群について

鹿島古墳群は、荒川右岸の鹿島・台・平方裏地区の丘の上にあって、直径十から三十メートルの円墳によって構成されています。
古墳時代六世紀後半から八世紀初頭頃までに築造されたもので、かつては百基以上あったと言われています。(境内掲示より)

埼玉県掲示による古墳ついて

古墳
古墳とは、土を高く盛り上げ、内部に遺体を葬るための施設や副葬品が埋納されている墳墓である。築造は一般に三世紀後半から七世紀末までで、古墳時代と呼ばれている。
古墳の形には、前方後円墳、円墳、方墳などがあり、墳丘には埴輪が置かれ、外側には周溝がめぐっている。埋葬施設には、粘土槨、竪穴式石室、横穴式石室などがある。
県内には現在約三〇〇〇基の古墳があるが、最古の古墳は四世紀末の桶川市熊野神社古墳(円墳、粘土槨)とされている。五~六世紀中ごろは、畿内の政権と政治的に結びついた首長の墳墓、すなわち行田市埼玉古墳群に代表されるような大型の前方後円墳が盛んに築造された。六世紀末から七世紀末になると、鹿島古墳群のように小円墳が密集する群集墳が各地に出現する。
また、この時期には、吉見百穴のような横穴墓群が比企、入間地方に造られた。(埼玉県掲示より)


鹿島古墳群の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」