鶴ヶ岡八幡神社。ふじみ野市鶴ヶ岡の神社

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鶴ヶ岡八幡神社。鶴ヶ岡八幡宮の使者が、当地に土着

鶴ヶ岡八幡神社の概要

鶴ヶ岡八幡神社は、ふじみ野市鶴ヶ岡にある八幡神社です。鶴ヶ岡八幡神社の創建年代等は不詳ながら、古尾谷八幡に行く鶴ヶ岡八幡宮の使者が、当地に住み着き、地名を「鶴ケ岡」とし、八幡社を祀ったと伝えられ、(1644-1648)の創建と伝えられています(村名の成立に関しては、亀・久保に対して鶴・岡としたとの説もあり)。江戸期には村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格していました。

鶴ヶ岡八幡神社
鶴ヶ岡八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 古六天社、子の権現社、熊野神社、天満天神社、稲荷神社、八雲神社
祭日 春例祭4月15日、八雲神社祭礼7月25日前後、秋例祭10月15日
住所 ふじみ野市鶴ヶ岡3-18-6
備考 -



鶴ヶ岡八幡神社の由緒

鶴ヶ岡八幡神社の創建年代等は不詳ながら、古尾谷八幡に行く鶴ヶ岡八幡宮の使者が、当地に住み着き、地名を「鶴ケ岡」とし、八幡社を祀ったと伝えられ、(1644-1648)の創建と伝えられています(村名の成立に関しては、亀・久保に対して鶴・岡としたとの説もあり)。江戸期には村の鎮守として祀られ、明治5年村社に列格していました。

ふじみ野市教育委員会掲示による鶴ヶ岡八幡神社の由緒

鶴ヶ岡八幡神社
江戸時代、このあたりは「八幡神社村」とよばれていました。正保年間(一六四四~八)の検地帳には村の名は見えず、貞享三年(一六八八)に検地実施の記録があるので、その頃には鶴ヶ岡が成立したと考えられます。参道入口にある「芝開き地蔵尊」は、元禄七年に鶴ヶ岡村の人々によって建立された地蔵で、村の開拓を伝える貴重な資料となっています。
鶴ヶ岡八幡神社の祭神は誉田別命で、切妻造りの拝殿と神明造りの本殿を配しています。境内には稲荷神社・八坂神社・御嶽神社もまつられています。石でつくられた鳥居は、文化八年(一八一一)六月の建立です。
鶴ヶ岡八幡神社についての詳しい沿革はわかりませんが、文政十一年(一八二八)に成立した『新編武蔵風土記稿』によると、「八幡社 村の鎮守なり、亀久保地蔵院の持」と記されていることから、鶴ヶ岡村の鎮守としてまつられていたことがわかります。この当時は神仏習合の時代であるため、文政期(一八一八~三〇)には亀久保にある地蔵院が管理していたこともありました。
なお、この地域一帯は今から四千五百年ほど前の縄文時代中期の遺跡が確認されています。(ふじみ野市教育委員会掲示より)

「埼玉の神社」による鶴ヶ岡八幡神社の由緒

八幡神社<大井町鶴ケ岡一(鶴ケ岡字上組)>
当地には川越街道、御嶽街道、鎌倉街道が通い、昔は交通の要地であったという。
当社はかつて鶴ケ岡八幡と呼ばれ、その創始は、鎌倉街道にかかわる。社記によると、昔、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の使者が古尾谷八幡に行く途中当地を通りかかり、よい所であったので、その後、住み着いて、鎌倉の地名「鶴ケ岡」を当地に名付け、更に八幡社を祀ったという。時代は不詳であるが、社蔵の古い版木、「武藏國鶴ケ岡奉仕正遷宮八幡神社御璽」がある。また、一説には当社の創建を江戸時代初期の正保年間と伝え、この地が開かれた当時、一〇戸余りの家々で産土神として祀ったともいう。『風土記稿』には「村の鎮守なり、亀久保村地蔵院持」とある。明治五年に村社となる。
本殿の建築年代は不詳であるが、古くは南を向いていたという。それがいつのころにか現在の東向きになった。また、古くは本殿と拝殿のみで、本殿は雨ざらしであったものを、昭和二六年に覆屋を造る。
境内は戦後しばらくの間は杉の大木が茂っていたが、排気ガスの影響で枯死して昔の面影はなくなっている。社名・地名の鶴ケ岡については、前出の社記による記載のほかに、『風土記稿』に「亀久保村の隣村なれば、其対をもて鶴岡村の名づけし」とある。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による鶴ヶ岡八幡神社の由緒

(鶴岡村)
八幡社
村の鎮守なり、龜久保村地蔵院の持、
末社。稲荷牛頭天王合社(新編武蔵風土記稿より)


鶴ヶ岡八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)

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