淨空院。東松山市上唐子にある曹洞宗寺院

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太高山淨空院。東松山市上唐子にある曹洞宗寺院

淨空院の概要

曹洞宗寺院の淨空院は、太高山本通寺と号します。淨空院は、徳川家康の関東入国により、当地の領主となった菅沼越後守定吉(慶長17年1612年卒)が開基となり、大本山永平寺の監院職喚竜善応和尚を招聘して、文禄2年(1593)に創建したといいます。当寺本堂は宝暦3年(1753)の再建で、庫裏・坐禅堂、及び菅沼氏一族の墓と共に市文化財に指定されています。

淨空院
淨空院の概要
山号 太高山
院号 淨空院
寺号 本通寺
本尊 釋迦牟尼佛像
住所 東松山市上唐子679
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



淨空院の縁起

淨空院は、徳川家康の関東入国により、当地の領主となった菅沼越後守定吉(慶長17年1612年卒)が開基となり、大本山永平寺の監院職喚竜善応和尚を招聘して、文禄2年(1593)に創建したといいます。曹洞宗の別格地(格地)寺院です。

境内掲示による淨空院の縁起

太高山本通寺浄空禅院
浄空院の「御由緒舊記寫」によれば、徳川家康の関東入国にともなって、天正十九年(一五九一)から文化八(一八一一)年まで当地(唐子村)を領地として与えられた菅沼氏の祖定吉が開基となり、文禄二(一五九三)年越前の国の大本山永平寺より、ときの監院職であった喚竜善応和尚を招いて開山の始祖とし、「太高山本通寺浄空禅院」(曹洞宗)と号したのが、当院のはじまりと言われております。菅沼氏はこれより浄空院に対して年貢諸役を免除するなど保護し、浄空院は菅沼氏の菩提所としてその供養につとめていきます。(東松山市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による淨空院の縁起

(上唐子村)
浄空院
曹洞宗、信濃國松本宿善久院末、大高山本通寺と號す、開山は喚龍善應慶長十年七月廿八日示寂、開基は菅沼越後守定吉慶長十一年七月十七日卒す、本尊釋迦を安ぜり、本堂の軒に寶暦十一年鑄造の鐘を掛く、
稲荷社
金比羅社
衆寮(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉宗教名鑑」による淨空院の縁起

応和2年(962年)天台宗の慈恵大師が東国巡行の折、聖武天皇の御木像と村上天皇の観音像を奉持して、法養寺を開創した。
元亀(1570~73年)か天正(1573~92年)の頃、禅宗に改宗している。
文禄2年(1593年)徳川家康譜代の旗本、菅沢越前守定吉が開基となって太高山本通寺浄空院と改め、現在の諸堂の建立を見た。越前国(現福井県)の大本山永平寺より、時の監院職(本山で禅師の次位)にあった喚竜善応和尚を請して開山とした。
その後、寛政(1789~1801年)、文化(1804~18年)に至り、菅沼7代和泉守定享が京都奉行の時、その功勲により花器、大公儀より金百貫を賜い、永代寺禄として吉田村20石の寄付をうける。
明治初年、埼玉県下の名刹として別格地に昇格、郡下唯一の格地寺院として今日に至った。(「埼玉宗教名鑑」より)


淨空院所蔵の文化財

  • 本堂、庫裏、坐禅堂(東松山市指定文化財)
  • 菅沼氏一族の墓(東松山市指定文化財)

境内掲示による淨空院の縁起

伽藍は、本堂、庫裡、坐禅堂、山門、鐘楼、裏門(庫裏門)から構成され、本堂を中心に庫裏と坐禅堂がコの字型につながって前庭を囲み、南に山門を構えるなど景観としての優美さが感じられる構成になっています。
建物は明治十八年、二十二世如山和尚が書き留めた『寺籍財産明細帳』に「九世住職学禅和尚ニ至テ諸堂大破ニ付宝暦三癸酉年現今ノ堂宇ヲ再建ス」とあること、本堂棟木の「宝暦三酉年三月吉祥日」の墨書からすくなくとも本堂が宝暦三(一七五三)年に再建されたことがわかります。また、庫裏、坐禅堂の建築年代を示す史料はありませんが、本堂と同時期に再建されたと考えられています。境内にある「本堂」、「庫裏」、「坐禅堂」と本堂裏手にある「菅沼氏一族の墓」が市指定文化財に指定されています。(東松山市教育委員会掲示より)

菅沼氏一族の墓

菅沼氏一族の墓
菅沼氏は三河の豪族で、定吉開基以来長南の定敏、二男の定則の両家の菩提所となり、文化八年に所替となったのちも菅沼氏の菩提所となっています。定吉を初代とし、二十四基が建立されています。(東松山市教育委員会掲示より)

淨空院の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」