永福寺。東松山市市ノ川にある曹洞宗寺院

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萬松山永福寺。北条氏直が中興開基

永福寺の概要

曹洞宗寺院の永福寺は、萬松山と号します。永福寺は、大洞存奝(永正16年1519年寂)が開山となり永正5年(1508)に創建、(小田原)北条氏直が中興開基、小田原北条家より天文22年(1553)には寺領保護に関する制札を受領しています。小田原北条家滅亡後、代わって入国した徳川家康より、天正19年(1591)には寺領20石の御朱印状を受領、近郷に末寺を擁していた寺院です。

永福寺
永福寺の概要
山号 萬松山
院号 -
寺号 永福寺
本尊 釈迦牟尼佛像
住所 東松山市市ノ川212
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



永福寺の縁起

永福寺は、大洞存奝(永正16年1519年寂)が開山となり永正5年(1508)に創建、(小田原)北条氏直が中興開基、小田原北条家より天文22年(1553)には寺領保護に関する制札を受領しています。小田原北条家滅亡後、代わって入国した徳川家康より、天正19年(1591)には寺領20石の御朱印状を受領、近郷に末寺を擁していた寺院です。

新編武蔵風土記稿による永福寺の縁起

(市ノ川村)
永福寺
萬松山と號す、禅宗曹洞派、伊豆國加茂郡宮上村最勝寺の末、寺領二十石の御朱印は、天正十九年賜はれり、當寺は永正五年の草創にして、開山大洞存奝永正十六年十月十七日示寂せり、開基は北條左京大夫氏直なりと云へど、これは中興の開基なるべし、然らざれば年代符合せず、本尊地蔵を安ず、天文廿二年小田原北條家より、當寺へ與へし制札を蔵せり、則ち左に載す、
一寺内門前一切不入之事、幷竹木截取事、
一殺生之事、
一寺領致作土貢等令難澁者有之者可承事、
以上
右三ヶ條於違犯之輩者、速可處罪科者也、仍如件、
北條家虎朱印あり
天文廿ニ年癸丑卯月朔日 遠山左衛門奉之
武州市川永福寺(新編武蔵風土記稿より)


永福寺所蔵の文化財

  • 永福寺の制札

永福寺の制札

制札とは、ある行為を禁止するなどきまりごとを広く一般に知らせるため、当時の権力者が木札に書いて、寺社の門前や村落の入口などに掲げたものです。
制札の内容には、戦乱の狼藉行為(よくない行い)を禁止したものが多くありますが、ここ永福寺の制札は、北条氏が寺を保護するために、天文二十二(一五五三)年四月一日掲げたものです。
横五〇・一cm、縦三ニ・八cm、厚さ三・〇cmの木の札には、墨で次の様な事が書かれています。
(文面省略)
この制札は、市域に残る戦国文書の現物として最も古いものです。これにより当時東松山市域は、北条氏の支配下にあったことがわかります。(東松山市教育委員会掲示より)

永福寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」