正代御霊神社。東松山市正代の神社

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正代御霊神社。東松山市正代の神社

正代御霊神社の概要

正代御霊神社は、東松山市正代にある神社です。正代御霊神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉期の地頭小代氏が創建したのではないと推定され、江戸期には正代村の鎮守として祀られていました。明治42年字弁天の市杵島神社、字東形八坂神社、字田谷稲荷神社の三社を合祀しています。

正代御霊神社
正代御霊神社の概要
社号 御霊神社
祭神 源悪源太義平
相殿 -
境内社 天王社、市杵島神社、田谷稲荷社、稲荷社
祭日 -
住所 東松山市正代841
備考 -



正代御霊神社の由緒

正代御霊神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉期の地頭小代氏が創建したのではないと推定され、江戸期には正代村の鎮守として祀られていました。明治42年字弁天の市杵島神社、字東形八坂神社、字田谷稲荷神社の三社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による正代御霊神社の由緒

(正代村)
御霊社
村の鎮守なり、青蓮寺持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による正代御霊神社の由緒

御霊神社<東松山市正代八四一(正代字中形)>
当地は、越辺川と都幾川に挟まれた低地に半島状に突き出た高坂台地の東端に位置している。地内には、鎌倉期の地頭小代氏の館跡がある。当社は「岡の屋敷」と呼ばれる小代氏館跡近くに鎮座しており、同氏により創建されたことがうかがえる。
主祭神は、旧来鎌倉権五郎景政(正)といわれてきたが、「小代行平置文」には、「小代ノ岡ノ屋敷ハ、源氏ノ大将軍左馬頭殿(源頼朝。筆者注、以下同じ)の御嫡子鎌倉ノ右大将(頼朝)ノ御兄悪源太殿(義平)伯父帯刀先生殿(源義賢)ヲ討チ奉マツリ給フ時、御屋形ヲ造ク被レテ、其レニ御座シマシテ、仍テ悪源太殿ヲ御霊ト祝ヒ奉マツル。然レバ後々将来ニ至ルマデ、小代ヲ知行セン程ノ者ノ惣領主ト謂ヒ庶子等ト謂ヒ、怠タリ無ク信心致シテ、崇敬シ奉マツル可(キ)者也」とある。
社蔵棟札によると、宝暦四年(一七五四)に本殿の造営が行われ、これには「両御地頭御寄附」とある。この両地頭というのは『風土記稿』に載る武田源次郎・鈴木与平次のことであると思われるが、両名共、宝暦の初めに所替えとなっている。
『風土記稿』には「御霊社 村の鎮守なり、青蓮寺持」とある。(「埼玉の神社」より)


正代御霊神社所蔵の文化財

  • 正代の祭ばやし

正代の祭ばやし

正代の祭ばやしは、七月二十五日(現在は七月二十五日に近い日曜日)の夏祭りに、鎮守五霊神社で、無病息災を祈願して、氏子の「正代はやし連」の人達によって奉納されます。神輿と屋台を連ねて、正代地区を一巡します。屋台の上では大太鼓一、小太鼓二、笛一、すり鉦一の五人編成で、これに踊りや芝居がつきます。
現在のはやし連が出来たのは、昭和六年のことで、市内古凍から師匠を招き、また、坂戸市塚越にも出向いて習ったものです。「囃子連帳」には、この時の様子が「昭和六年農村ハ日毎経済ニ疲レ囃子ヲ頼ム経費スラ容易デナイ実情ニナリ此処ニ将来ヲ思ヒ村ノ経費ヲ幾分ナルトモ減少シヨウト云フ意気ニモエ心ヲ合セ囃子連ガ成立シマシタ」と記されています。(東松山市教育委員会掲示より)

正代御霊神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)