下押垂氷川神社。東松山市下押垂の神社

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下押垂氷川神社。東松山市下押垂の神社

下押垂氷川神社の概要

下押垂氷川神社は、東松山市下押垂にある神社です。下押垂氷川神社は、武蔵一の宮の氷川神社を勧請して享保元年(1716)に創建、上下押垂の鎮守として祀られています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治40年字山王塚の日枝神社を合祀しています。

下押垂氷川神社
下押垂氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
祭日 夏祭7月14日、例祭10月19日
住所 東松山市下押垂526
備考 -



下押垂氷川神社の由緒

下押垂氷川神社は、武蔵一の宮の氷川神社を勧請して享保元年(1716)に創建、上下押垂の鎮守として祀られています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治40年字山王塚の日枝神社を合祀しています。都幾川改修工事に伴い、昭和50年元鎮座地(字宮の脇、国道407号線東松山橋附近)から当地(字金塚)へ遷座、配置は復原されたものの、参道は1/3程度になってしまったといいます。

新編武蔵風土記稿による下押垂氷川神社の由緒

(下押垂村)
氷川社
上下村の鎮守なり、西福寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下押垂氷川神社の由緒

氷川神社<東松山市下押垂三六四-七(旧下押垂字宮の脇)>
創建以来、「水の神」として厚く信仰されてきた社にふさわしく、当社の境内は都幾川の堤防の側にあり、その社殿は水塚の上に設けられている。元来、社地は、現在よりも二五〇メートルほど上流の字宮の脇(国道四〇七号東松山橋付近。現在は河道)にあったが、建設省による都幾川改修工事に伴う換地の結果、昭和五十年、字金塚にある現在の社地に遷座し、同年四月二十日に氏子を挙げてその遷座祭が斎行された。現在の境内の配置は、字宮の脇の境内の配置をそのまま復元したものであるが、地形の関係上、参道の長さが宮の脇にあったころに比べて三分の一程度になっている点が異なる。
当社は、大宮(現大宮市)に鎮座し、武蔵国一の宮として信仰の厚い氷川神社の分霊を享保元年(一七一六)に祀ったことに始まるとされ、文化三年(一八〇六)には神祇伯から大明神号を受けている。それを記念して作られた社号額は現在も拝殿内に掛けられているが、その表には「氷川大明神」、裏には「西福寺五十四世義観受之 文化三年四月十六日 神祇伯資延王謹書印之 武州比企郡下押垂村」と彫り込まれており、大明神号の拝受は別当の西福寺により行われている。その後、当社は神仏分離を経て、明治六年に村社となり、同四十年四月十日、字山王塚から無格社日枝神社を合祀し、従来の祭神須佐之男命に加えて大山咋命が併せて祀られるようになった。(「埼玉の神社」より)


下押垂氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)