下青鳥氷川神社。東松山市下青鳥の神社
下青鳥氷川神社の概要
下青鳥氷川神社は、東松山市下青鳥にある神社です。下青鳥氷川神社は、正徳5年(1715)に武蔵国一の宮氷川神社から分霊を受けて創建、江戸期には下青鳥小名金谷の鎮守として祀られていました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 春祭4月2日、夏祭り7月19日、秋祭り11月23日 |
住所 | 東松山市下青鳥64 |
備考 | - |
下青鳥氷川神社の由緒
下青鳥氷川神社は、正徳5年(1715)に武蔵国一の宮氷川神社から分霊を受けて創建、江戸期には下青鳥小名金谷の鎮守として祀られていました。
新編武蔵風土記稿による下青鳥氷川神社の由緒
(下青鳥村)
小名
金谷。當所は廣き地にて、土人は一村のごとく金谷村と云へり、
氷川社
千住寺の持にて、小名金谷の鎮守とす、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による下青鳥氷川神社の由緒
氷川神社<東松山市下青鳥六四(下青鳥字氷川裏)>
当社は、大字下青鳥の上郷の南西に鎮座している。社殿は、坂上田村麻呂が矢を洗ったと伝える南方の矢洗川の方を向いている。これは当社の神が村の開発と治水に深く結びついていたためであろう。
参道は、大きく枝を広げた形の良い杉が林立していることから、境内は鎮守の杜にふさわしい趣がある。昭和二十三年四月一日の「氷川神社境内立木調査表」によると、目通り六尺三寸の欅、六尺一寸の杉をはじめ、三七本もの巨木がうっそうと茂っていたことがわかる。古くからこの地は村人の心の拠り所としての神聖な地であったことがうかがえる。
社伝によると、勧請は正徳五年(一七一五)で、武蔵国一の宮氷川神社から分霊を受けこの社に祀ったと伝える。恐らく、これは太々神楽を奏して氷川講を広めた一の宮氷川神社の社家の活動も関係があると思われる。祭神は素佐之男命で、内陣には氷川大明神像を安置する。
『風土記稿』によると、別当は天台宗浄光寺門徒の久遠山高松院千住寺で、これは明治初年に廃寺となっている。
本殿は、総欅の一間社流造りで、杮葺きの屋根は、千鳥破風付向拝唐破風で、全体的に簡素で力強さを見せる。また、蟇股には竜、懸魚には鳳凰、木鼻には竜・獅子・獏などの見事な彫刻を配している。建造は江戸後期であると思われる。(「埼玉の神社」より)
下青鳥氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)