西本宿浅間社。東松山市西本宿の神社
西本宿浅間社の概要
西本宿浅間社は、東松山市西本宿にある神社です。西本宿浅間社の創建年代等は不詳ながら、前方後円墳の墳丘上に鎮座、坂上田村麻呂が大同年間(806-810)に富士浅間の神体を安置したとも伝えられ、その後管領足利基氏が貞治元年(1362)に社殿を建立したといいます。元宿村(現西本宿)の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格しています。
社号 | 浅間社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | 木花咲耶姫命 |
境内社 | - |
祭日 | 春祭り4月15日、初山祭7月14日、例大祭11月3日、秋祭り12月14日 |
住所 | 東松山市西本宿996 |
備考 | - |
西本宿浅間社の由緒
西本宿浅間社の創建年代等は不詳ながら、前方後円墳の墳丘上に鎮座、坂上田村麻呂が大同年間(806-810)に富士浅間の神体を安置したとも伝えられ、その後管領足利基氏が貞治元年(1362)に社殿を建立したといいます。元宿村(現西本宿)の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格しています。
新編武蔵風土記稿による西本宿浅間社の由緒
(元宿村)
淺間社
村の鎮守なり、常安寺持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による西本宿浅間社の由緒
浅間社<東松山市西本宿九九六(西本宿字富士原)>
富士浅間に見立てた前方後円墳の墳丘上に鎮座する当社は、木花咲耶姫命を祀り、本宿(元宿とも書く。明治十二年から西本宿)の鎮守として、住民から厚く信仰されてきた。
大同年間(八〇六-一〇)、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の途中、岩殿山中に棲む悪竜が近郷の人畜を害していたことを聞きつけ、日ごろ崇敬する富士浅間の神体を当地に安置して祈願をしたところ、悪竜の居場所を知ることができ、見事これを退治したというはなしが、田村麻呂が奉安したという富士山の霊石とともに伝えられている。
また、関東管領足利基氏が当社を深く崇敬し、貞治元年(一三六二)に社殿を建立したといわれ、更に元禄六年(一六九三)から正徳四年(一七一四)にかけて改築が行われている。
『風土記稿』は元宿村の項で、当社について「浅間社 村の鎮守なり、常安寺持」と触れている。ここに記された常安寺は、本宿の地内にあり、同じく『風土記稿』によれば「開山豪讃和尚文永三年(一二六六)二月十五日寂す」と伝えられる中世開山の天台宗の寺である。
神仏分離の後、この常安寺の管理を離れた当社は、明治四年に村社に列し、同八年の屋根葺き替え、大正五年の社殿再建などを経て、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
西本宿浅間社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)