松山菅原神社。東松山市松山の神社

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松山菅原神社。東松山市松山の神社

松山菅原神社の概要

松山菅原神社は、東松山市松山にある神社です。松山菅原神社は、当社を管理していた修験観音寺を開山した忠良が、応永年間(1394-1428)に創祀したといいます。

松山菅原神社
松山菅原神社の概要
社号 菅原神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 -
祭日 春祭り3月25日、例大祭10月25日
住所 東松山市松山1150
備考 -



松山菅原神社の由緒

松山菅原神社は、当社を管理していた修験観音寺を開山した忠良が、応永年間(1394-1428)に創祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による松山菅原神社の由緒

(松山町)
天神社
觀音寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による松山菅原神社の由緒

菅原神社<東松山市松山一一五〇(松山町字中道)>
当社は、かつて松山城の城下町として栄えた「元宿」と呼ばれた地域から北に一キロメートルほど離れた所に鎮座している。境内に接して、鴻巣街道と北吉見の今泉とを結ぶ今泉通りが通る。当社の鎮座地が「中道」と呼ばれるのも、この道に由来する。
創建は、社伝によると応永年中(一三九四-一四二八)で、別当観音寺を開山した「忠良」なる者により行われたという。
以来、観音寺は松山城下の元宿にあって、氏子たちや近在の村々の者に諸祈禱を修したといわれる。『風土記稿』によると、観音寺は京都聖護院末の本山派修験で、東照山竹林坊と号していた。慶長十四年(一六〇九)には、横見・比企両郡のうち一派の年行事職を許され、横見郡大串村毘沙門堂や比企郡長谷村不動堂をも兼帯する有力修験であった。また、万治三年(一六六〇)の失火までは、東照大権現改葬の際、観音寺に御霊棺を安置した縁をもって建立した東照宮の御宮があったと伝えている。
祭神は、菅原道真公で、現在内陣には菅公座像が安置されている。この像は、明治三十五年四月「菅公一千年祭」を記念して東京美術学校教授の竹内氏に依頼し、製作したものである。(「埼玉の神社」より)


松山菅原神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)