葛袋神社。東松山市葛袋の神社
葛袋神社の概要
葛袋神社は、東松山市葛袋にある神社です。葛袋神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地にあった標高85mの坂東山の中腹に五社権現宮が、また村の南方に白髭神社・愛宕神社・八坂神社が祀られており、五社権現社に白髭神社・愛宕神社・八坂神社を明治40年に合祀して、明治45年葛袋神社と称したといいます。五社権現社は、熊野十二所権現社の内の熊野五所王子を祀っていたものと思われ、また白髭神社は、下唐子の白髭神社(唐子神社)を分祀して祀っていた社と伝えられます。
社号 | 葛袋神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 大黒天、金毘羅、金刀比羅社 |
祭日 | 春祈禱3月28日、夏祭り7月28日 |
住所 | 東松山市葛袋853 |
備考 | - |
葛袋神社の由緒
葛袋神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地にあった標高85mの坂東山の中腹に五社権現宮が、また村の南方に白髭神社・愛宕神社・八坂神社が祀られており、五社権現社に白髭神社・愛宕神社・八坂神社を明治40年に合祀して、明治45年葛袋神社と称したといいます。五社権現社は、熊野十二所権現社の内の熊野五所王子を祀っていたものと思われ、また白髭神社は、下唐子の白髭神社(唐子神社)を分祀して祀っていた社と伝えられます。なお、坂東山はセメント材採掘のために切り崩され、その後東松山葛袋産業団地として整地されています。
新編武蔵風土記稿による葛袋神社の由緒
(葛袋村)
白髭社
村の鎮守なり、
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天神社
五社権現社
愛宕社
以上萬蔵寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による葛袋神社の由緒
葛袋神社<東松山市葛袋八五三(葛袋字山根)>
葛袋では、かつて村の中央にそびえる坂東山(標高八五メートル)中腹に五社権現宮、村の南方に白髭神社・愛宕神社・八坂神社をそれぞれ祀っていた。このうち白髭神社が村の鎮守であった。
明治五年、白髭神社を坂東山の五社権現社に合祀して相殿となり、「五社大神・白髭大神社」と号して村社となった。更に同四十年、愛宕神社と八坂神社をこれに合祀し、同四十五年に村名を採って葛袋神社と改めた。次いで、大正五年には、坂東山の麓の現在地に社地を移した。この坂東山は、昭和二十九年からセメント材採掘のために秩父鉱業によって切り崩され、現在では跡形もなくなっている。
このように、当社の中心となっているのは五社権現社と白髭神社である。五社権現社は、その社名から察するに、熊野十二所権現社の内の熊野五所王子と呼ばれる若一王子(天照大神)・禅師(忍穂耳尊)・聖(瓊々杵尊)・児宮(彦火々出見尊)・子守(鸕鶿草葺不合尊)の五柱を祀る社と考えられ、恐らく熊野修験により奉斎されたものであろう。一方、白髭神社については「(隣村の)下唐子の白髭神社(現唐子神社)が当社の兄さんである」との口碑が伝えられている。下唐子の白髭神社は、応永十八年(一四一一)の創建と伝えられることから、当社の創建もこのころまでさかのぼるのであろうか。
昭和六十一年に社殿を焼失したが、平成元年に再建が果たされた。(「埼玉の神社」より)
葛袋神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)