上唐子氷川神社。東松山市上唐子の神社

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上唐子氷川神社。東松山市上唐子の神社

上唐子氷川神社の概要

上唐子氷川神社は、東松山市上唐子にある神社です。上唐子氷川神社の創建年代等は不詳ながら、かつて慶長10年(1605)再建の棟札が残されていたとされることから、古くより祀られてきたとことが窺えます。江戸時代の慶安3年(1651)に唐子村が上下に分村した際、上唐子村の鎮守とされ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格していました。

上唐子氷川神社
上唐子氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 須佐男命
相殿 -
境内社 稲荷社、天神社・日吉神社、八雲社、疫神様・七鬼様
祭日 夏祭り7月23日に近い土日曜日、秋祭り10月17日、七鬼神社の祭典8月27日
住所 東松山市上唐子1674
備考 -



上唐子氷川神社の由緒

上唐子氷川神社の創建年代等は不詳ながら、かつて慶長10年(1605)再建の棟札が残されていたとされることから、古くより祀られてきたとことが窺えます。江戸時代の慶安3年(1651)に唐子村が上下に分村した際、上唐子村の鎮守とされ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格していました。

境内掲示による上唐子氷川神社の由緒

氷川神社は上唐子の鎮守として祀られている神社です。ご神体は須佐男命です。いつ頃の創建か明らかではありませんが、「新編武蔵風土記稿」に「氷川神社、村の鎮守なり、近き頃まで社内に慶長十年(一六〇五年)再建の棟札ありしが今失へり、常福寺の持」と記されていることから、一六〇五年以前であったようです。
慶安三年(一六五一年)に唐子村が上下に分村していたことが分かっていますから、この分村を機会に氷川神社が上唐子の鎮守になったと思われます。
氷川神社は明治五年六月、上唐子村の村社となりました。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による上唐子氷川神社の由緒

(上唐子村)
氷川社
村の鎮守なり、近き頃まで社内に、慶長十年再建の棟札ありしが今失へり、常福寺の持、下四社も同じ、
鹿島社
神明社
稲荷社
天神社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上唐子氷川神社の由緒

氷川神社<東松山市上唐子一六七四(上唐子字沼端)>
当社は大字上唐子の鎮守として祀られている。鎮座地は、上唐子の西方の高台にあり、林に囲まれた静寂な地である。
創建については明らかでないが、『風土記稿』には「氷川社 村の鎮守なり、近き頃まで社内に、慶長十年(一六〇五)再建の棟札ありしが今失へり、常福寺の持」と記されている。
元禄元年(一六八八-一七〇四)までには、唐子村が上下に分村していたことから、この分村を機に上唐子村の鎮守となったものであろう。
別当の常福寺は、下青鳥村浄光院門徒で、無量山佛音院と号する天台宗の寺院であったが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。その跡地は、当社の東方三〇〇メートルほどの所である。
明治六年、古くから村の鎮守であったことから村社に列した。
造営については、慶長十年の再建の後、慶応二年(一八六七)に社殿大破に付き新たに建立されたことが『明細帳』に記されている。近年では、昭和六十一年六月二十二日に不審火によって社殿が全焼したため、二年後の同六十三年四月に氏子崇敬者の協力のもと、再建がなされている。(「埼玉の神社」より)


上唐子氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)