廣見寺。秩父市下宮地町にある曹洞宗寺院

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大林山廣見寺。秩父郡域曹洞宗の本寺寺院

廣見寺の概要

曹洞宗寺院の廣見寺は、大林山と号します。廣見寺は、水沢市正法寺二祖月泉良印禅師の高弟天光良産禅師が明徳2年(1391)に開山したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の御朱印状を受領、秩父郡域に末寺孫末寺40ヶ寺を擁した中本寺格の寺院です。

廣見寺
廣見寺の概要
山号 大林山
院号 -
寺号 廣見寺
住所 秩父市下宮地町25−29
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



廣見寺の縁起

廣見寺は、水沢市正法寺二祖月泉良印禅師の高弟天光良産禅師が明徳2年(1391)に開山したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の御朱印状を受領、秩父郡域に末寺孫末寺40ヶ寺を擁した中本寺格の寺院です。

新編武蔵風土記稿による廣見寺の縁起

(大宮郷)
廣見寺
宮地にあり、大林山と號す、曹洞宗、奥州江刺郡黒石村正法寺末なり、天正十九年の御朱印をたまふ、本尊釋迦・彌勒・阿彌陀を安ず、開山天光良産禅師、明徳二年に此寺を創建せり、入寂の年月は詳ならず、この寺に門前百姓四軒、末寺三十六、檀家三百餘あり、
惣門
樓門。樓上に十六羅漢を安ず、
回廊。本堂の左右に連ねて、都合廿一間餘、
本堂。七間に七間半
庫裡
方丈
書院
開山堂
禅堂
衆寮
鐘樓堂。寶形作り
妙見、白山、稲荷。以上三社合殿、これを鎮守とす、
秋葉社
辨天社
天神社
山神社
觀音堂
石室。大般若經を石に書寫して納る所なり、寺後の山下に巨岩を穿て、洞穴の如く掘りし穴なり、入口凡一間、奥へ八九尺許、(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による廣見寺の縁起

三門再建記念碑
当廣見寺は、今から凡そ六百年前、明徳二年(一三九一)本寺岩手県水沢市正法寺二祖月泉良印禅師の高弟天光良産禅師によって開かれた秩父曹洞宗発祥の寺である。その後二世東雄朔方大和尚、三世端山守的大和尚が進住し秩父市を中心として横瀬町荒川村に多くの末寺を開き、末寺孫末寺合わせて四十ヶ寺という廣見寺教団の基を築いた。
しかしこの六百年の歴史は、ただ平坦なものではなく、多くの荒波を潜り今日に至っている、戦国時代武田軍の兵火、吉田町清泉寺への従属、享保十八年の大火、明治維新の廃仏毀釈、大正二年の火災、そして戦後の農地解放と寺の基盤を揺るがすいくつもの障害を乗り越えて六百年の年輪を刻んできたのである。先の大正二年の大火では、総門を除く全ての伽藍を消失し、長く険しい復興事業が始められたのである。幸いにも、檀信徒の理解を得て、大正七年逸早く本堂が再建され、続いて昭和十二年大書院、同二十四年梵鐘再鋳、同三十三年開山堂兼位牌堂、同五十六年小書院と次次再建され往年の景観を取り戻した。(境内石碑より)


廣見寺所蔵の文化財

  • 袈裟(本寺正法寺第二世月泉良印禅師伝衣)一肩(秩父市指定有形文化財)
  • 廣見寺本堂額縁(元下郷笠鉾万燈)(秩父市指定有形文化財)
  • 大林山廣見寺惣門一棟(秩父市指定有形文化財)

袈裟(本寺正法寺第二世月泉良印禅師伝衣)一肩

廣見寺は、岩手県奥州市にある正法寺の二世月泉良印禅師の高弟である天光良産禅師が、明徳二年(一三九一)に開創したと伝えられる古刹です。
この袈裟は、幅三三五x丈一二四cm、紺地牡丹唐草に木瓜龍文金蘭の九条袈裟で、文禄二年(一五九三)に廣見寺が吉田の清泉寺の末寺となるが、延享三年(一七四六)に正法寺への帰属がかない、その証として送られた。
江戸時代の本末制度下、秩父の仏教史上で貴重な歴史資料である。(秩父市教育委員会掲示より)

廣見寺本堂額縁(元下郷笠鉾万燈)

明治二十九年(一八九六)下郷笠鉾は、三層の花笠、万燈等を付した秩父地方最大の笠鉾として完成した。大正三年(一九一四)の電線架設に伴い、大正六年から現在の二層の屋型で曳行することになった。
笠鉾の部品は払い下げられたが、万燈は昭和十五年に当寺の檀家から「覺皇殿」と刻まれた扁額として奉納された。額縁は、一六九cm ×九四・五cm、桐材に「波に千鳥」の彩色で笠鉾の変遷を知る上で貴重な資料である。(秩父市教育委員会掲示より)

大林山廣見寺惣門一棟

惣門は、桁行二・五四m、梁間二・一二m、切妻造、茅葺型銅版葺の禅宗様四脚門で、十七世紀の造営と考えられる。
この門は、随所に中世の手法を用い、門に調和した妻飾り、茅葺型屋根の堂々とした外観は、県下でも優位の四脚門である。
また、門には江戸時代の渡来僧東皐心越禅師により書かれた「大林山」の扁額が掲げられている。(秩父市教育委員会掲示より)

廣見寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿