正蔵院|中野区弥生町にある真言宗豊山派寺院

猫の足あとによる東京都寺社案内

円通山正蔵院|川住行教の墓所

正蔵院の概要

真言宗豊山派寺院の正蔵院は、円通山海章寺と号します。天文元年(1532)法印賢盛が創建したと伝えられます。

正蔵院
正蔵院の概要
山号 円通山
院号 正蔵院
寺号 海章寺
住所 中野区弥生町4-12-1
本尊 聖観世音菩薩
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 正蔵院会館
備考 こまどり幼稚園併設



正蔵院の縁起

正蔵院は、天文元年(1532)法印賢盛が創建したと伝えられます。

新編武蔵風土記稿による正蔵院の縁起

正蔵院
除地、1段20歩。小名川嶋の内にあり。円通山海草寺と号す。是も同宗同末(新義真言宗、中野村宝仙寺末)なり。本堂は近き頃焼失せしより未だ再造に及ず。本尊正観音の坐像1尺5寸なると安ず。開山開基詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)

境外川嶋地蔵尊について

中央の地蔵尊は享保10年(1725)に建てられたもので、正面の台石には「川嶋村内の善男善女が一人も欠けず皆でこれを建てた」と刻まれています。
両脇の六地蔵は宝暦7年(1757)田口平四郎の妻が願主となり、川嶋村地蔵講中で建てたものです。
地蔵菩薩は、お釈迦様の入滅後、未来仏(弥勒菩薩)が成仏するまでの無仏の時代に出現して、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の衆生を済度する菩薩で、三途の川の賽の河原で子ども達を救うやさしいほとけさまです。
当時のこの地域の人々はどのような願いをこめてこのお地蔵様を建てたのでしょうか。
久しく正蔵院の境内にあった地蔵尊を、此度参道入口にお移ししました。(正蔵院掲示より)


正蔵院所蔵の文化財

  • 川住行教の墓所

川住行教の墓所

当寺の墓地に川住行教の墓所があります。角柱杉の墓石に「真照院良誉行教」とあるのがそれです。
行教は文政8年(1825)三河国西尾藩(現、愛知県西尾市)に生まれ、のち、藩主松平乗全、乗秋の二代に仕えました。
江戸時代の末、幕府非常の際、乗全が老中の重職命ぜられ江戸に下ったおり、行教もこれに随行し万延元年(1860)3月井伊大老の暗殺事件がおき、乗全がその責を負い老中の職を辞して西尾藩に退いたとき、行教もまた帰藩しました。のち乗秋に仕えて大いに藩の改革につとめました。
明治維新、新政府に選ばれて三河国の大参事に抜擢され、その名声は高かったと伝えられています。
やがて明治9年、その職を去り、以来中野の雑色村に閑居して悠々自適の生活に入りましたが、明治17年(1884)2月、病のため60歳で死去しました。
後世「中野長者の伝説」の調査をした元陸軍中尉川住鋥三郎は、この行教の子です。(中野区教育委員会掲示より)

正蔵院の周辺図