淵野辺日枝神社。相模原市中央区淵野辺本町の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

淵野辺日枝神社。鎌倉末期から南北朝時代にかけての創祀

淵野辺日枝神社の概要

日枝神社は、相模原市中央区淵野辺本町にある神社です。日枝神社は、出家した執権北條貞時が徳治2年(1307)当地を遊歴した際、山王大権現を祈願して、地頭淵野辺伊賀守義博に大蛇退治を命じたとの言い伝えがあるといい、或は地頭武将淵辺義博が、苦しむ農民のために境川に巣くう大蛇を暦応年間(1338-42)に退治したとも言い伝えられ、いずれにせよ鎌倉末期から南北朝時代にかけての創祀ではないかといいます。

日枝神社
日枝神社の概要
社号 日枝神社
祭神 大山咋命
相殿 飯綱大神、大鳥連祖神
境内社 日枝神社、弁天社、第六天社、八坂社、蚕影社
祭日 例大祭9月第2土曜日
住所 相模原市中央区淵野辺本町1-36-16
備考 -



淵野辺日枝神社の由緒

日枝神社は、出家した執権北條貞時が徳治2年(1307)当地を遊歴した際、山王大権現を祈願して、地頭淵野辺伊賀守義博に大蛇退治を命じたとの言い伝えがあるといい、或は地頭武将淵辺義博が、苦しむ農民のために境川に巣くう大蛇を暦応年間(1338-42)に退治したとも言い伝えられ、いずれにせよ鎌倉末期から南北朝時代にかけての創祀ではないかといいます。

新編相模国風土記稿による淵野辺日枝神社の由緒

(淵野辺村)山王社
神體鏡(延寶八庚申年極月と刻す)毎歳八朔を例祭とす、鐘をかく(近時の物なり)別當武州多磨郡木曾村覺圓坊持下同じ。
末社。飯綱、稲荷。(新編相模国風土記稿より)

さがみはら風土記稿による淵野辺日枝神社の由緒

現在の淵野辺本町1~2丁目はもともと「山王平」と呼ばれる地域でした。その名のもととなった山王神社こと日枝神社は境川に下りる段丘の中腹にあります。
この淵野辺地区には古くから淵辺義博の大蛇退治の伝説がありました。これは暦応年間(1338~42)に村の地頭であった武将淵辺義博が、苦しむ農民のために境川に巣くう大蛇を見事に退治したという伝説です。
この伝説はさらに別の伝説を生み出し、淵辺に大蛇退治を命じたのは執権北条貞時で、貞時が僧となって遊歴したさいにこの村の惨状を知り、淵辺に命じて当時、山王大権現であったこの神社に祈願してから大蛇を退治したという話も伝わっています。ただしこの話は徳治2年(1307)の出来事とされており、先の伝説とは時間的なひらきがあります。
また、この神社にはもうひとつの伝説が伝わっています。それは天文11年(1542)北条氏康の関東平定のために家臣の大友義実はこの山王大権現を祈願所としたという話です。
ともに歴史的事実と考えることは困難ですが、それらの伝説を生み出すほど地域の人々にとってこの神社は重要なところということだったのでしょう。(さがみはら風土記稿より)

境内掲示による淵野辺日枝神社の由緒

山王日枝神社は第九十四代後二條天皇徳治二年(西暦千三百七年今より六九三年前)大将軍久明親王執権北條貞時僧となり淵野辺に遊歴して官吏の善悪賞罰を正す。その時各所より溝流れ入り池となり大蛇あらわれれ人民を食せし故貞時溝内の高山に山王大権現を祈願し、淵野辺伊賀守義博に命じて大蛇をうちころす。住民大いに喜こび山王大権現を淵大水有主神として祈願天文十一年八月二十七日北條氏康関東平定のため大友義家山王大権現を祈願所とする。其の悪病流行の時伊賀権現大酉明神のおつげにより知行岡野孫一郎の命を受け氏子一同八月二十七日及び十一月の酉の日に五穀豊穣氏子安全福作永年を祈る。(境内掲示より)


淵野辺日枝神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • さがみはら風土記稿