法授寺。小田原市城山にある日蓮宗寺院

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法授寺。小田原市城山にある日蓮宗寺院

法授寺の概要

日蓮宗寺院の法授寺は、延命山と号します。法授寺は、正和年間(1312-1317)に創建、中老僧日実が開山したといいます。明暦3年(1657)の火災に伴い替地となり、万治2年(1659)竹の花へ移転、明治維新後鉄道の拡幅に伴い寺領を失い、昭和40年当地へ移転しています。

法授寺
法授寺の概要
山号 延命山
院号 -
寺号 法授寺
本尊 一塔両尊四士
住所 小田原市城山2-2-18
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法授寺の縁起

法授寺は、正和年間(1312-1317)に創建、中老僧日実が開山したといいます。明暦3年(1657)の火災に伴い替地となり、万治2年(1659)竹の花へ移転、明治維新後鉄道の拡幅に伴い寺領を失い、昭和40年当地へ移転しています。

新編相模国風土記稿による法授寺の縁起

(竹花町)
法授寺
法華宗、(豆州田方郡玉澤村妙法華寺末、)延命山と號す、古は谷津村にあり、明暦三年囘禄の後、寺地領主の蔵屋敷を建、故に當所に轉ず、開山日實、(元弘二年十月廿三日卒、)本尊三寶諸尊を安ず、天正十六年の禁制書を蔵す、(曰、禁制旅人之宿致之事、寺内竹木草花剪取事、法會之砌狼藉之事、以上右三ヶ條至于違犯之輩者、可遂披露、可處嚴科旨、被仰出者也、仍如件、天正十六戊子十月十七日、法壽寺、山角孫十郎奉之、虎朱印、)
△番神社。鬼子母神及淡島明神を合祀す、(新編相模国風土記稿より)

「日蓮宗寺院大鑑」による法授寺の縁起

法授寺
正和(1312-17)年間の創立。開山中老僧日実。達師法縁。一説には、真言宗の末寺を正和年中に日実の法弟日専が改宗させ寺号を改称したという。当時現在の小田原駅の北隣の位置にあったが、万治2年城主の命により竹の花に替地を受け、昭和40年までこの地にあった。この間、大正初期に熱海線(現東海道線)敷設のため寺領の七分の一、昭和初期に私鉄大雄電車(現伊豆箱根鉄道)に十分の一、昭和15年には当時の弾丸列車敷地にまた七分の一程度買収され、明治時代には小田原角力といわれる相撲興行のかかった境内も終戦時には半分の広さとなった。昭和18年に墓地の移転を行い、以来20余年、堂宇と墓地が約1粁を隔て種々不便を生じ、40年現在地に新築移転。(「日蓮宗寺院大鑑」より)


法授寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 「日蓮宗寺院大鑑」