善教寺。川崎市中原区にある浄土宗寺院

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善教寺。川崎市中原区にある浄土宗寺院

善教寺の概要

浄土宗寺院の善教寺は、井田山と号します。善教寺の創建年代等は不詳ながら、井田村開発の時に應龍院と号す観音堂を守る僧侶がいたといい、それより三代後に實譽(寛永11年)開山となり一寺としたといいます。

善教寺
善教寺の概要
山号 井田山
院号 -
寺号 善教寺
本尊 -
住所 川崎市中原区井田1-20-1
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



善教寺の縁起

善教寺の創建年代等は不詳ながら、井田村開発の時に應龍院と号す観音堂を守る僧侶がいたといい、それより三代後に實譽(寛永11年)開山となり一寺としたといいます。

新編武蔵風土記稿による善教寺の縁起

(井田村)善教寺
村の東の方字和田にあり、近き頃回禄にあひて今に至り本堂再建に及ばず、本尊弥陀木の坐像にて長三尺運慶の作なりと云、今はしばらく庫裡に安ぜり、當寺は浄土宗にて上小田中泉澤寺末、井田山と號す、古は應恩院と稱せしが今院號は廃せり、開山實譽寛永十一年八月十一日寂せり、寺傳によれば此實譽より先三代道心者のすみし庵なりしが、それにつき起せし寺なり、又寺記に云、當村開發の時小名観音町に一宇の観音堂あり、應龍院と號せり、一年洪水のためになかされて、矢上村に至り松樹にかかりて止る、今矢上村の観音寺の本尊これなり、ここに於て巽の方なるみ臺と云處の山下に一宇の庵室を建立して、道全と云禅門を迎へて開山とす、この頃は天台宗にて駒林村金蔵寺の末に属せしともいへり、これより三代にして實譽住せりと云、後今の地へ移りし年代は傳へず。
閻魔堂。庫裡の南にあり、石像にて長三尺はかりの閻魔を安ず。(新編武蔵風土記稿より)


善教寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿