東光院。川崎市麻生区にある真言宗系単立寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

東光院。寺領15石の御朱印状、兜跋毘沙門天立像

東光院の概要

真言宗系単立寺院の東光院は、岡上山寶積寺と号します。東光院の創建年代等は不詳ながら、行基が創建したとも伝えられ、天正年間(1573-1592)の住職が11世だったといい、江戸時代には、徳川家光より寺領15石の御朱印状を受領したといいます。

東光院
東光院の概要
山号 岡上山
院号 東光院
寺号 寶積寺
住所 川崎市麻生区岡上217
宗派 真言宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



東光院の縁起

東光院の創建年代等は不詳ながら、行基が創建したとも伝えられ、天正年間(1573-1592)の住職が11世だったといい、江戸時代には、徳川家光より寺領15石の御朱印状を受領したといいます。

新編武蔵風土記稿による東光院の縁起

(岡上村)東光院
境内御朱印地、村の北にあり、新義真言宗、京都三寶院の末、岡上山寶積寺と號す、本堂十一間に七間東向、本尊不動立像長三尺許なるを安置す、開山開基を詳にせずと云へど、天正の頃まで十一代に及ぶといひ、又天正十九年の水帳にも載たれば、いづれ古き寺なること知べし、大猷院殿より寺領十五石の御朱印を賜へり。
二王門。堂の正面にあり、五間に二間半。
鐘楼。門を入て右の方にあり、近き頃鋳し鐘なるに似たれど、其鋳し年月をしるさず。
天神社。堂の右にあり。
疱瘡神社。これも同じ邊にあり。(新編武蔵風土記稿より)

「川崎市史」による東光院の縁起

東光院は川崎市の飛び地となっている岡上にある真言宗寺院(現在は単立)であるが、行基創建の伝説をもつ古刹である一方、蚕影社(現在、川崎市立日本民家園へ移築)や瘡守杜をもち、さまざまな信仰の側面の見られる寺院である。(「川崎市史」より)


東光院所蔵の文化財

  • 木造・兜跋毘沙門天立像(川崎市重要歴史記念物)

木造阿弥陀如来坐像

当院は、『新編武蔵風土記稿』(江戸時代後期の地誌)によれば、新義真言宗に属していましたが、現在は単立寺院になっています。
当院所属の木造・兜跋毘沙門天立像は、一木造、彫眼で、髻を結い、左手に宝塔を掲げ、右手に戟を取り、甲冑をつけて地天(女性神)の上に立っています。
その作風は腰太で、あたりを圧する威風を備えており、平安時代後期の制作と考えられています。
川崎市教育委員会は、この仏像を昭和四十九年二月十九日、川崎市重要歴史記念物に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)

東光院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿