高石神社。川崎市麻生区高石の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

高石神社。地頭加々美金右衛門正吉が承応3年創建

高石神社の概要

高石神社は、川崎市麻生区高石にある神社です。高石神社は、潮音寺を開基した地頭加々美金右衛門正吉が、神体を奉納して承応3年(1654)に創建したといいます。大正11年高石村内の熊野社、御嶽社、春日社、富士浅間社、八幡社等を合祀したといいます。

高石神社
高石神社の概要
社号 神明社
祭神 天照大神
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭日9月21日
住所 川崎市麻生区高石1-31-1
備考 -



高石神社の由緒

高石神社は、潮音寺を開基した地頭加々美金右衛門正吉が、神体を奉納して承応3年(1654)に創建したといいます。大正11年高石村内の熊野社、御嶽社、春日社、富士浅間社、八幡社等を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による高石神社の由緒

(高石村)
伊勢宮
村の西北にあたれる丘の上にあり、當社あるを以この邊を伊勢森と呼ぶ、本社宮作にて二間半に三間の覆屋あり、東向なり、神體は幅五寸に長一尺ばかりの版に畫けり、檜様は上に日月をえがき、下に童形あり、彩色を加ふ、裏に承應三年甲午二月廿一日建立、加賀美金右衛門と記せり、左右に稲荷第六天の二小祠を相殿とす、例祭は年々正月十五日又二月十五日、形ばかりの流鏑馬の式あり、事畢て後かの料に用ひし木弓二張竹箭三手の内弓一張矢一手を神前に納む、此弓矢一夜の内誰持去るともなく失せぬるとぞ、又一張は民家にもちかへり、濁酒をかもして祝ふと云ふ、此社地高き處なれば四邊の森を打越て、江戸の邊秩父御嶽の山々をのぞみて景色の地なり。
熊野社
同じ邊にて爰も山丘の上なり、本社は宮造なり、此にも左右に稲荷第六天の小祠あり、三祠をすえて上屋を造る、二間に三間、共に南向、社前の石階を下て半腹に鳥居あり、是を二の鳥居と云、又石階あり下に鳥居をたてり、これ一の鳥居也、例祭は年々九月二十一日なり、この時古例あり、村のものとも當番をわかちをき、其番に當りしものの宅に集會し、各背を合せ列をなし、坐を定め、その間に一二尺ばかりを隔て、かの膝前に白紙一枚をのへ置く、時に七歳以下の小兒をもてるものは、いりたる豆を米に雑へ、袋へいれて持来り、彼しき置し紙の上に一抹のづつ賦り廻る、これを八道と號す、この日又免田の米を以濁酒を醸し、八道畢て後宴を設けり、是を神社の舊例とす、ただ農民のしはざにて古風を見るべきことにもあらざれど、又他になきわざなればしるしぬ。末社牛頭天王社。二の鳥居の左隅にあり、巽向の小祠なり。
八幡社
村南の山上にあり、八幡宮と題せる石標を建るのみにして社は未再造に及ばず、此所よりのぞめば天晴し時は巳午の方に當りて、神奈川品川の海濱よく見え風景ことにすぐれたり。
春日社
村の南によりてあり、これも石標ばかりにして社はなし、其他山丘なり。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による高石神社の由緒

社殿創建は「承応三年(一六五四)二月廿一日建立、加賀美金右エ門」と、ご神体の裏に明記してある。(神奈川県神社誌より)


高石神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 神奈川県神社誌