北金目神社。平塚市北金目の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

北金目神社。旧称熊野社

北金目神社の概要

北金目神社は、平塚市北金目にある神社です。北金目神社の創建年代等は不詳ながら、熊野社と号し、北金目村の鎮守として祀られ、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には社領2石の御朱印状を受領しています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治6年北金目神社と改称、大正4年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。当社本殿は江戸時代前期の建立と推定される春日造で、平塚市重要文化財に指定されています。

北金目神社
北金目神社の概要
社号 北金目神社
祭神 伊邪那岐命、速玉之男命、予母津事解之男命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭4月第3土曜日
住所 平塚市北金目3-17-11
備考 -



北金目神社の由緒

北金目神社の創建年代等は不詳ながら、熊野社と号し、北金目村の鎮守として祀られ、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には社領2石の御朱印状を受領しています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治6年北金目神社と改称、大正4年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。

新編相模国風土記稿による北金目神社の由緒

(北金目村)
熊野社
村鎮守とす、神躰木像、例祭六月十八日、天正十九年十一月社領二石の御朱印を賜ふ、幣殿・拝殿・神楽殿等あり、不動院持、下同、
△末社。山神子守明神諏訪天王住吉稲荷天神合祀。梵天(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による北金目神社の由緒

元熊野大権現と称したが、明治三年五月熊野神社と改称、明治六年村社に列せられ、更に明治九年北金目神社と改称、大正四年幣帛供進の神社に指定される。(神奈川県神社誌より)


北金目神社所蔵の文化財

  • 北金目神社本殿一棟

北金目神社本殿一棟

本殿は、桁行七尺の大型社殿で、県下では数少ない春日造の本殿です。江戸時代前期(一七世紀中~後期)の建立と考えられ、平塚市内の神社建築では最も古い。
近世の神社建築は通例、全面彩色から部分彩色、素木仕上げへの変化し、彫刻による装飾も虹梁や木鼻に絵様刳形を施すのみであったのが、江戸時代の中頃になると建築各部に鳥獣や草花、人物などの彫物を施すようになります。
この本殿は全面が彩色され、虹梁・長押・上部小壁などに輪宝や写実的な草花等の文様が描かれますが、彫刻による装飾はあまりみられません。木鼻も向拝柱側面の象の彫刻以外はすべて絵様木鼻で、総体的に簡素な造りとなっています。また、象の木鼻もその下半には絵様木鼻の名残をとどめており、過渡的な形態を示すものとして注目されます。
春日造りであってもその平面は、当地方の一間社流造りに最も多い平面構成であり、地方的特色をもつ春日造の遺構としても貴重です。(平塚市教育委員会掲示より)

北金目神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌